MIT

最近「KIT」という表記をよく目にします。
金沢工業大学(Kanazawa Institute of Technology)が好んでこの表記を使っているのですが、MITをかなり意識しているように感じるのは私の思い過ごしでしょうか。
名工大にしても東工大にしても英語表記では「○○ Institute of Technology」となりますが敢えてそんな略語は使わず、「○○ Tec.」と呼ぶ方が多いようです。
ではなぜ? 同じ私立でありながら、数多のノーベル賞受賞者を輩出し世界的にも有名な「MIT」(Massachusetts Institute of Technology:マサチューセッツ工科大学)を目標とし、それに近付こうとする大いなる野心が感じとれます。


MITの前身は、日本の多くの工業大学同様職業訓練学校でした。当時の大学はどの国でもそうですが、ごく一部の支配者階級の若者がそれに相応しい教養を身に付ける場所でした。当時の世の中の付加価値の源泉は農業とその収穫物を流通させる為の商業が主体でした。しかし既に欧州を中心に産業革命が起こり工業による付加価値が伸び始めている時でもありました。工業による付加価値増大の為のテクノロジー発達の黎明期だったのです。工業生産増大の為、工員達にその技術を習得させる所を時代が要求していたのです。
しかし世の中全体では工業従事者達の社会的地位は低く、職業訓練学校も大学とは比較対照にさえならないほど低く見られていました。
ましてボストンには名門ハーバード大があり常に抑圧を受けていたのです。
そんなMITが時代の脚光を浴びるようになるのは太平洋戦争勃発の頃からです。既に欧州ではナチスとの戦争が始まっていましたが、モンロー主義により米国が欧州戦線に参戦する事はありません。その米国を味方に引き入れる為、英国は自国の持つ全ての軍事技術を無償供与しました。結果的にはこれが戦後 英国から米国へ覇権が移る原因になったと思います。
無償供与された軍事技術の中にレーダーがありました。当時の米国にはタダで供与を受けてもそれを使いこなせる国家機関の受け皿が無かったのです。そこでMITがそれを担う事となり世界の檜舞台に登場するようになりました。そして現在ではハーバードと対等の地位を占めるようになっています。
戦後の日本も多くの職業訓練学校が国立の工業大学に昇格し、そこから送り出された技術者達が戦後の驚異的な復興を下支えしたのです。同時に知識労働者(Knowlage worker)という階層が社会の殆どの領域を占めるようになり、これらの人々が稼ぎ出した資産が金融界の資金源にもなり現在に至っています。
KITも地元金沢には藩校に起源を持つ金沢大学があります。MITがそうであったようにKITも抑圧を受けている事と思います。似たような環境の中で野心的な試みに常に取組んでいる姿を見ると、このKITの表記とMITとの間になにかしらの思い入れがあるように私には感じられます。


ここからは余談ですが、もう十数年経つでしょうか、MITという本が発刊されていました。
いつものパターンで、読み終えた後どこかに置きっ放しにしておいたら子供達の餌食になっていました。
MIT校内の自由闊達な雰囲気に憧れたのか、S司が学校で「将来MITに行きたい。」と言ったそうです。中学生である周りの級友達にはMITが何なのか解からなかったようですが、それを聞いた担任の先生は素直に応援してくれたそうです。普通なら通知表に1を貰っているような子の言う事、頭からバカにされても仕方がないくらいですが。そしてこの先生、卒業アルバムにもこんなコメントをくれています。「夢に向ってガンバレ。」明らかにMITの事です。
つくづく子供っておだてられて育つものだなあと思います。そしてこの先生に感謝しています。
良い先生とめぐり合えるかどうか、これが大きく人生を左右します。
実はこれには伏線があり、その事が大きく影響していたのではないかと思っています。
それより少し前、将来何になりたいかをクラス全員が発表する事があったそうです。皆本当に思っていてもそうでなくても事務的に「○○になりたい。」と言うのでしょうが、おバカなS司は正直に「まだ解からない。」と言ったそうです。その時に「解からないけど、人様のお役に立つ仕事に就きたい。」と言ったそうです。誰もかもが自分の事しか考えない今の風潮に反して、中学生の子供から聞いたこの言葉にこの先生は涙が出るほど感動したそうです。そしてそれが職員室でも話題に上り学校中で評判になったそうです。通知表に1を貰っている生徒の言葉に。
結局S司はMITへは行けませんでしたがD大でのびのびと5年間(1年留年しています。)を過ごしました。
D大も前身は「無線電信講習所」。職業訓練学校のようなものです。そしてそこの学生達、私の目から見てもS司と同人種の人ばかり。周りには無頓着でマイペースな人種です。興味のある事には猪突猛進、無い事には全くの無関心。ここも私にはMITのような環境に思えます。そして今はD大とは全く畑違いの環境学。しかし雰囲気はS司にぴったり合っているようです。研究室を秘密基地として○○ごっこをしているようなものです。くどいですが、中学の時通知表に1を貰っていた子がです。いかに中学の成績があてにならないか、自分を認めてくれる先生との出会いがいかに重要であるかが解かります。
MITに限らず、KITその他の学校にも自由闊達な文化がありそこから産み出される人とテクノロジーが経済の底上げに寄与しているのです。
こういった次世代への投資は借金してでももっと多くの予算を付けて貰いたいものです。北大の鈴木さんの言ではありませんが、今の状況では数十年後には日本からのノーベル賞受賞者は居なくなってしまいます。言い換えればテクノロジーによるイノベーションが無くなりそれによる競争優位や付加価値も無くなるという事です。一億総白痴化、3Kワーカー化してその日暮らしで良いのなら構いませんが。