朧げな記憶を辿ると

最近ちょっとした事で身体のあちこちを傷めます。先日も腰を傷め、御在所へ行ったら治ってしまいました。原因は運動不足である事はは一目瞭然。
でも家に居ると動きたくなくなっちゃうんですよね〜。
そう言えば昔はよくラジオ体操やってましたね。まず頭にラジオ体操第一の音楽が流れてきます。チャンチャカチャカチャカ、チャンチャカチャカチャカ、タラリラタラタラ、タラリラリ〜♪
すると勝手に身体が動き始めます。これは条件反射のようなもので長い間に身体に染み付いてしまったもののようです。
今の若者はどうか知りませんが、我々世代は誰もがそうなのではないでしょうか。
山でもよく見かけましたね。大学ワンゲル部なんて、版で捺したように出発前と到着後に伴奏なしで全員が間違える事無くやってました。
このラジオ体操、社会人になってからも続けていました。はい、就業前と午後3時には構内放送でラジオ体操の音楽が流れるのです。打合せや立会で訪れた客先でもどこも例外無くやってました。
就職当初は第一だけだったのですが、いつの間にか第二も。と言う事になりましたが、第二の中に首の運動があり、これが凄く効きました。私だけでなく全員が毎回「キク〜。」って言ってましたから。細かな作業が多く肩を凝らす事が多かったので、この第二はかなり効率アップに貢献したのではないかと。
この構内放送、体操だけでなく作業効率アップのためにBGMも常時流す事になりました。最初は軽音楽だったのですがいつの間にやらラジオをそのまま流すようになってしまいました。こうなると仕事がメインなのかラジオがメインなのか?
リピート品製造部門もあったのでこちらはそれでもさほど問題はありませんが、設計の構想を練っている時なぞ気が散って仕事になりません。それでも慣れとは恐ろしいものでそれなりに処理出来るようになります。そして単純作業になると頭は100%ラジオ、作業は手が勝手に動いているだけ。
当時はまだFM放送の黎明期、AMでは得られない高音質と言う事でダイナミックレンジの広いクラシックがよく聴取されていたのですが、高尚な趣味に欠ける我々はしょうもない番組(FM愛知)一択でした。毎朝流れてくるカワシマミエコ?さんの声を心待ちにするように。
この方とは一度お会いした事があります。休日に栄へ行った時、サテライトスタジオが設置されそこから放送していたようです。そこで出されたクイズに私か答えてしまったものですから注目の的に。まるで私じゃないみたいに皆の視線同様に私も私の後ろに目を遣る仕草が面白かったのか、そのカワシマさんに「落研の方ですか?」と聞かれちゃいました。落研って落語研究会の略で、GパンTシャッ姿だった事から学生さんと思われたようです。
就業中のBGMラジオと言うと他には【ポップスベストテン】。土曜日の午後からの放送で「ダイヤトーン、ホースケスケ」と言う音声から始まりました。ポップスベストテンがホースケスケと聞こえていたのですね。たしかシリアポールさんが担当されていました。本当にそうだったのか調べてみると、就職して2年目くらいから8年間も担当されていたようです。就職後すぐに土曜日休みになったと思っていましたが、これをBGMで聴いていたって事は少なくとも2年以上後だったって事です。なんせ半世紀前の事ですから記憶の曖昧さは仕方ありません。
それより驚いたのはこのシリアポールさん、なんとパンチパンチパンチの一人だったそうです。モコ、ビーバー、オリーブのオリーブがそうだったそうです。リーダー格のモコこと高橋基子は今でもすぐに思い浮かびますがビーバーがそうだったなんて。この年にして初めて知りました。雑誌平凡パンチから生まれたパンチパンチパンチ、この平凡パンチは他の週刊誌のようなB5版ではなく半分サイズのB6版、その分2倍ほどの厚みがありました。高校の頃化学の担任がいつもバスの中でこれを読んでおり、付けられたあだ名が平凡パンチ。次から次へとしょうもない事が思い出されます。
FM放送の商業放送が始まった当時から半世紀、世の中本当に大きく変わりました。ラジオはまだアナログ放送ですがテレビは全てデジタル化。当時では思いもつかぬ事です。ハンディサイズの携帯電話を誰もが持ち、それもデジタル通信。
当時は誰もが知らなかった米軍秘匿のSS通信が各家庭内でごく当たり前に使われています。
この先一体どのように世の中変わって行くのでしょうね?