清里

汽車の窓からハンケチふれば~
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高原列車はランランランランラン行くよ~♪

令和の世の中でこんな歌知ってる人は殆ど居ないでしょうねえ。
高原列車と言うと小海線。日本最高点があるJR路線で有名です。
そして小海線と言えば一昔非常に有名になった観光地【清里】が頭に浮かびます。
私が初めて清里の地名を知ったのは20才か21才の頃。女友達がその友達と連れ立って清里へ旅行に行くと聞いた時でした。若い女の子好みの観光地らしい事は解りましたがさして興味も無く「ふ~ん。」と思っただけでした。
当時山にのめり込み始めていた頃ですぐにそれがどこなのか知る事になります。山渓のアルパインガイド【八ヶ岳】に掲載されているではありませんか。
清里駅は赤岳の東側表玄関、真教寺尾根の基点だったのですね。当時はスケッチ旅行にも嵌っており、1泊程度で寝袋での駅泊まりもよくやっていました。
それでその後清里近辺の徘徊も何度かやった事があります。現地でプロの画家に声をかけられ良い構図を求め一緒に徘徊したのも懐かしい思い出です。
八ヶ岳と言うと我々中京圏の者は茅野を基点とするのが普通でしたからわざわざ小淵沢から小海線に乗り換えて東側から入るなんて考えられず、景色も全く異なる事からとても新鮮だったと思います。いや一度だけ野辺山から県界尾根経由で登った事があります。ちょうどその頃ラジオ番組で串田孫一氏の【音楽の玉手箱】が放送されていた頃で、串田氏の語りの中で野辺山辺りの案内があったからだったでしょうか。

何故急にこんな話を? 
偶々YOUTUBEを見ていたら【バブル後の清里】ってのがありまして、それを見てその変貌ぶりに驚いたと同時に昔を思い出したという訳です。
今はシャッター街となった駅周辺と最盛期の違いを目の当たりにし諸行無常を感じております。
私が徘徊していた頃から既に半世紀が経っており、その頃はまだ流行り始めのごく初期だった事もあり、テーマパークのようなメルヘンチックな建造物もありませんでした。それが徐々にそして過度なまでに栄え一挙に没落と言う事のようです。
清泉寮も外観はあまり変わりはありませんが、半世紀前は観光地という雰囲気ではありませんでした。それが売店やら何やらいっぱい出来て俗化した観光地になりそれがまた寂びれて・・・、直視に耐えないですね。
清泉寮と言うと石原裕次郎の映画でも出ていました。【男が爆発する】なんてとんでもなく奇怪な題名でしたが如何にも昭和って感じです。当然舞台は清里辺り。私が訪れる10年以上前ですから街らしい街もない舗装路もない八ヶ岳東面山麓がスクリーンに広がっていました。その頃って小河内ダム建設により強制的にここに入植させられた人達が生計を立てる為悪戦苦闘していた頃だと思います。
1959年の映画ですからこの翌年に裕次郎さんは共演の北原三枝さんと結婚されたんですね。
清泉寮の特徴的な2階テラスの手摺、映画のものもアルパインガイドの写真もそしてYOUTUBEの画像でもこれは変わっていません。それが一層時代の変化を印象付けていました。
廃墟と化した駅前の印象と裏腹に観光地として安定して賑わっている【清里テラス】もYOUTUBEで紹介されていました。
これは知らなかったですね。【美しの森山】の上(八ヶ岳側)にあるようで、ここはスキー場でもあるようです。半世紀前には在りませんでしたから繁栄の中で出来たものでしょう。真教寺尾根は今はここから取付くのかもしれません。
寂びれた事ばかり紹介している中で賑わい未だ健在の施設を見るのはほっとしますね。