Seceda

行ってみたいと思いながら行けなかった所に五色ヶ原があります。
最初に知ったのは山渓のアルパインガイド立山・劔に掲載されていた写真です。だだっ広い草原がわりとなだらかな確度で片側にせり上がりその端は崖となり切れ落ちています。

あまり見慣れない景色であり、それが立山薬師岳の稜線上にあると言う事でなぜか私の心をざわつかせたのです。立山から入っても太郎から入ってもかなり距離があり途中で一泊は必要になります。おまけに北アとしてはかなりアップダウンが激しくなかなか踏み切れずそのままになってしまいました。当時は最も山に熱中していた頃で、一度の山行であれもこれも織り交ぜたいという欲が強くどうしても登攀が主体となっていました。
そんな状況でも雲ノ平へは足を踏み入れています。これは偶々北鎌へ行った時、独標辺りだったか何かの拍子に西鎌尾根方面に目を遣った時に見えたたおやかな景色につい感動してしまったからです。手前右側に見える硫黄尾根の赤茶けた山容とは全く異なるなだらかな緑に染まった稜線。これが雲ノ平だったのかは定かではありませんが、その時の私の頭の中では「あれが噂に聞く雲ノ平に違いない。」と。「自分が今居る場所と違いなんて安らかな所なんだろう。」と。
いずれも【天空の別天地】なぞと呼ばれており、その一つは足を踏み入れていますがもう一つは行かずじまい。今となってはたぶんこの先も行く事はないでしょう。
五色ヶ原が何故私を魅了したのか? それはやはりあの独特の地形でしょう。
その後それにも増して私を虜にした景色があります。それがタイトルに挙げたSecedaです。
当時は毎月購読していた【山渓】の他に【岩と雪】も購読していました。こちらは月刊でなく隔月刊だったのかな?
皆さん略して【いわゆき】と呼んでいました。結構先鋭的な登攀記録や海外の照会なども掲載されていました。当時は【Big Wall】なんて言葉がはやりヨセミテの記事も多くありました。エルキャピタンが初登攀されてからスピードクライミングに移行しつつあった頃ですね。
また遥か地球の反対側、パタゴニアのフィッツロイやセロトーレなどもありました。ヨーロッパアルプスも例外でなくシャモニー針峰群やダン・ディ・ジュアンそれにグラン・ドリュ、プチ・ドリュなども。
そんな中で目にした写真、それがSecedaの写真です。

緑の草原が五色ヶ原よりもっと急にせり上がっています。そしてその端は急峻に切れ落ちハングすらしています。その下方では崩れ落ちた岩屑がすり鉢状に斜面を形作っています。
どうもこういった景色が私を魅了しているようです。

今の世の中Youtubeで高品位な動画が数多く公開されています。
わざわざイタリアまで出かけなくても充分楽しめます。本当に良い時代です。