No! と言うべき

ここ暫く、毎朝新聞受けに聖○新聞が入っています。今回はちょっと長いなあ。
かみさんが友人に頼まれたものです。年に数回、一定期間配達されるようです。いくら頼まれたとは言えケチンボのかみさんが購読料を払っているとは思えません。たぶんその友人が自腹を切っているのでしょう。読みもしないのに勿体ない事です。
読む気は全く無いのですが、取込む時に1面の見出しは否が応でも目に入ります。そこにあるのはその組織の会長さんへの個人崇拝と組織自体の自画自賛。毎度毎度よく飽きもせずこんな記事が書けるものです。
しかしこの手の集団って数多くあるのですね。クーデターを起こしたオーム真理教や農業団体を謳っているヤマギシズム、etc. etc.
そしてその集団の決まった行動パターンがこれです。個人崇拝、自画自賛
まあ仕方ありませんかねえ、その幹部達にとって組織維持拡大は最優先課題。自分自身の思想や哲学を持たない人を隷属させ続ける為にはこういった手法が手っ取り早いのでしょう。すぐお隣には国家を挙げてやっているところもあるくらいですから。
そしてその組織の末端に位置する人達、皆従順で忍耐強い人達ばかりです。前述のかみさんの友人(聖○新聞の)、私も面識がありますが気さくで善良な主婦です。高学歴って事もこの種の方々には多いです。世間擦れしていない所為か人を疑う事を知らず、のめり込み易いのかも知れません。そしてもうひとつの共通点、いちど信じてしまったら思考停止してしまうのか、どんな事でも疑わなくなってしまう事です。IQが高く高学歴の人に限って常識と逸脱した行動を取りがちのようです。
この組織を母体とした政党もあり、私が中学の頃からですから既に半世紀近い歴史を持っています。政治と宗教が結びつくと碌な事はありませんが、一応【政教分離】を謳っておりついこの前まで政権与党として国政を担っていたほどですからオーム真理教のように酷い事は無いでしょう。宗教が絡んでいてもこれほど大きな組織となれば常識を備えた人も多くさすがにその会長さんの独裁とは行かないようです。とりあえずは日本という民主国家に溶け込んでいるって事でしょうか。
しかしながら冒頭の新聞の件でも解るように、末端の人達が「おかしい。」と言えない状況、これは大問題です。結局組織の暴走はこういった状況を是認している事から始まるのだと思います。
つい最近オーム真理教でサリン製造に加担していた人が逮捕されました。長い逃亡生活に疲れ果て、逮捕されてホッとしたとの記事もありました。高校の頃は陸上競技でオリンピックを目指していたそうです。【陸上】を通じて知り合った人から勧誘され高校の時に入信したそうです。その当時、現在の自分の姿など想像すらできなかったでしょう。
本人の責任と言われればそれまでですが、不穏な団体を野放しにしている事も問題です。(どんな民主国家でも反社会的な組織の取り締まりは当然の事です。)そして日本特有の文化とでも言いましょうか、「No!」と言うことに慣れていない、言うことに抵抗を感じる、って事も問題です。こちらの方が根が深いです。特に組織内に入ってしまうとどんな理不尽な事にも「No!」と言えなくなってしまうようです。「No!」と言うことを社会全体で是認する風土を育てていかなければなりません。これも単一民族、単一国家、島国、であることの弊害でしょう。(Noと言うことを認めるのとNoそのものを認めるのとは全く違います。日本人の特性として混同する人が多いですが。意見が異なる事を顕かにする事がまず必要なのです。一足飛びに意見の一致にまで至る必要はありません。)
どんな組織でも組織がある限り力関係やいじめは起こります。やれ平等だ、やれ争いが無い、などと謳っても絵空事でしかありません。そんな中で自分の存在を確かめながら生きるには理不尽な事に「No!」と言わなければなりません。
我家の子供達が幼かった頃、あるきっかけからヤマギシズムと関わった事があります。その特別講習研鑽会なるものに参加した事がありました。
その支持者を広げる為、組織を拡大する為なのでしょうが、普段ものを考えた事がない人達(自分の思想、哲学を持たない人達)はその手法にいとも簡単に信じ込まされて行きます。自己責任と言うには余りにも無防備な人達ばかりです。特に学校の先生などの高学歴な人ほど純真無垢過ぎて簡単に手玉にとられて行きます。
まあヤマギシズムもオームのような事はないでしょうから、そうめくじら立てて逆らう事も無いでしょうが。
そこで講師をしていた人、もと新聞社に勤めていたそうですが、時折助手の方に対して見せる無言の威圧、冷静に見ていた受講者の何人かはそれに気付いたようですが、あれこそがまさに先ほど述べた事。にらまれるだけで言いかけていた言葉が途切れ完全に萎縮していました。どんなに綺麗事を言ったってこんなのを見せられたらこの組織がどの程度のものか解ります。
その御仁、最後まで納得しない私にある事を話しました。「どこかで聞いた様な話だな。」とは思っていましたが、暫くして思い出しました。戦後間もない頃バスも通らないような僻地に赴任した教師の小説だったと思います。肥料の肥えを撒いていた時それが夕日に輝いていた…。あの御仁、結局最後の最後までパクリ話に終始していたのか。新聞社勤めの教養を配下の者にひけらかし威圧していたお山の大将が、多くの受講者を口説いていましたが、結局はこの組織もこれらの人の集まり。楽して平穏で豊かな生活など得られる訳がありません。たとえ暴力的では無いにしろ、何も言えずただひたすら真面目に働く人々から一部の人が搾取しているだけの事なのです。
それを少しづつでも改善するには…、正しくない事には、理不尽な事には、「No!」と言いましょう。自分自身が菊地さんにならない為にも。