書籍文化の終焉

僕が年くってハゲちゃびんになった時、
ずっと先の事だけどね、
バレンタインの贈り物や誕生日プレゼントにワインの一本もくれるかな?
もし僕が夜遊びして夜中の3時近くまで帰って来なかったら、
鍵掛けちゃうのかな?


まだ僕を必要としてくれる?
まだご飯作ってくれる?
僕が64才になっても。


君だって年をくう。
もしそう言ってくれたら一緒に居られるよ。


僕なら簡単にフューズ切れが直せるよ。
明かりが点かなくなって君が困った時に。
君は暖炉の横でセーターを編み、日曜の朝は車でお出かけ。
庭いじり、草取り、これ以上の事を誰が望むものですか。


まだ僕を必要としてくれる?
まだご飯作ってくれる?
僕が64才になっても。
・・・・・・・・・





あと2年と2ヶ月弱。カウントダウンが始まっています。なんとか歌詞通りに行きそうです。
マッカートニー自身は64歳になる前に離婚しちゃったのですが、子供達がこの曲で誕生日を祝ってくれたそうです。


この曲も所蔵のレコード盤に収録されていますが、聴く手段(オーディオ機器)が無くなってしまった今は全くの無用の長物です。にも拘わらず今回の建て替え時も捨てもせず往復2回の引越しをしました。そして今2階の収納庫の奥で大きな場所を占有しています。別にそれほどレコード盤に執着がある訳でもないのですが…。私ってコレクターの気があるのかな?
そのくせ本に対しては全く執着がなく、特に雑誌などはパッパカパッパカと直ぐ捨ててしまいます。Netオークションなどで古書なら兎も角雑誌にまで高値が付いているのを見ると吃驚してしまいます。捨てずに置いておけば良かったかな?
しかし今の若い人達って全く本を読みませんね。いや読書だけでなく全く勉強もしません。これで良いのでしょうか。この流れが今の日本の衰退に繋がっているのは疑う余地は無いでしょう。


私が就職した頃、凄いジレンマを感じていました。
学校で習ってきた事など何の役にも立たない、実務の技術レベルと学校で教えるアカデミックな理論との間には大きなギャップがあり、全くの異業種に参入したかのようでした。もともとパラノイアの気もあり、一度強迫観念に捕らわれるともうそれから逃れる事はできません。勉強しても勉強しても日進月歩の技術レベルには追いつくことすら出来ずその差は広がるばかりのように思われました。当時はどんな情報も本から得るのが普通でした。ですから休みは本屋に入り浸り。かといってなんでもかんでも買えるほど所得があるわけでもなし。次の給料が入ったらこの本とこの本を買おう。と心に決め、それまでは立ち読み。そんな訳で本屋さんにある専門書の殆どは目を通していました。
子供の頃から食べ物にお金をかける事はなく、空腹さえ癒せれば充分なのでお金を注ぎ込むのは趣味の事だけ。職に就いた頃は自由になるお金の殆どを本代に費やしていました。寮生活でしたので食費が必要なのは休日だけ。ですから当時の私のエンゲル係数は極端に低く、代わりにホン(本)ゲル係数が極端に高いという見掛け上は超リッチな生活だったのです。
そんな生活も仕事に慣れるにつれ強迫観念は薄らいで行きましたが、今の脳天気な人達って強迫観念に捕らわれる事なんてないのでしょうか。
別に仕事に関する事でなくても構いません。死に物狂いで何かに打ち込むって事を是非体験して頂きたいと思うのです。一度でもそんな事を体験すれば人生観がガラッと変わりなんらかの自身も着くと思います。


苦しい中で買い込んだ本も時の経過と共に陳腐化して行きます。当時に比べ今はその速度が加速度的に速くなっています。今の人達の方が私の頃よりより大変な筈なのにデーンと構えている若い人達、一体何なんですかねえこの余裕。まったく大物なのかバカなのか皆目見当がつきません。
本の内容は陳腐化する。 これが私の本への執着が無い事の原因かも知れません。
糊口を凌ぐ思いで買った本を新人さんに惜しげもなくあげる事もありました。しかし労せず入手した本というものはなかなか身に着かないものです。苦しい思いをしながら買ったからこそ本代以上の価値が得られるのかもしれません。
本はテクニカルな情報を得る為のもの。飯の種。こんな固定観念がある所為か、小説などの文学的なものというのはどうも馴染めません。「別に金まで払って読むほどのものでもねえだろ。」読みたかったら本屋で立ち読みすれば済む事です。雑誌などその極致です。偶に手元に置いておきたくなるような記事が掲載されている事もありますが。
こんな事を言いながらも実は私、現役の頃は【山渓】と【岩雪】を約10年に亘り購読していました。かみさんと一緒になりアパートが手狭になった為処分しましたが、雑誌を定期的に捨てるようになったのはそれ以降ですね。装丁のしっかりした単行本は引越しの度捨てていました。世の中は変わり、今回は【Book Off】で始末してもらいましたが数千円になったと思います。次回はNetオークションにかけるともっと儲かるかな?


最近の若者の本離れ、実はNetの所為が大きいようです。私自身も本で調べるよりNetで調べる方がずっと多くなっています。どの本のどこに載っていたか探すよりキーワード検索するだけなので手っ取り早いです。但しWikipediaのようにある程度信頼できるものなら良いのですが、全くあてにならない情報も氾濫しています。
専門書の内容を掲載しているサイトもあり、これなら高いお金を払って本を買わなくても済みそうです。随分便利な世の中になったものです。ドラッカーが言っていたように情報単価の低廉化は留まるところを知りません。
紙を媒体としていた情報の流れ(本)が今はNetに置き換わりつつあります。
米国に端を発した新聞社淘汰の流れが世界中に広がりつつあります。当然雑誌等の出版社も。いやそれだけでなくテレビ、ラジオなどの放送局も今までの高収益が難しくなっています。専門書ですらプライシングを高く設定できない環境に移りつつあります。
今までのように媒体(紙)を売るのでなくコンテンツそのものに対価が求められる世の中になって行くのでしょう。
聴く事ができないレコード盤は骨董品市場がお似合いかもしれません。そして本という媒体も。