バルサ材

もう12日。正月気分も抜け普段の生活に戻った。
正月の名残りというとまだお餅が残っているくらいだろうか。子供の頃はお節料理が結構遅くまで残っていたように思う。お節が無くなる頃に正月気分も無くなっていたような。
我家ではあまりお節料理などは食べない。当然手を掛けて作る事も無い。結婚当時は本と首っ引きでかみさんが作った事もあったが、売れ行きが悪くいつまでも残ってしまい翌年からは作らなくなった。正月気分を味わう為に出来合いのものをマーケットでほんの少し買うだけ、という形態に落ち着いてしまった。
それがどういう経緯か解からないが、今年は豪華なお節料理が我家の食卓を賑わした。ホテルや料亭などが商品として豪華なものを予約販売していることは知ってはいたが、我家の価値観ではそんなものに数万円もかけるなんてありえない。その常識を覆すかのように大晦日の夕方かみさんが持ち帰ってきたのである。なんでも誰かから頂いたとの事だが、こんなものでも1-2万円はすると思われる。今時こんなものを気前よくくれる人なんているのだろうか? との疑問を抱くが深くは詮索しないでおこう。
重箱二段にぎっしり飾り付けられた料理はさすがに華やかである。そして昔ながらのお節とは違いモダンな味付けで誰の口にも合いそうである。
さすがに重箱は使い捨て用という事で漆塗りでは無いがそれを真似たプラスチックでもない。白木の器である。
華やかさとまずまずの味に結構ハイペースで胃袋へと納まって行った。全て片付けられた後はかみさんが箱を捨てるなという。料理の華やかさに隠れていたが、言われてみれば結構この箱も綺麗だ。
そしてその時始めて思い出したのである。この材質の感じ、なんだか懐かしいようななにか心に引っ掛かっていたものがやっと解かった。




子供の頃、明けても暮れても模型の飛行機ばかり作っていた。その頃の記憶がフッと甦ってきた。
この材質、紛れも無いバルサ材である。
ソフト、ミディアム、ハードと硬さで大きく三種類に分類されており、それぞれ必要な強度と軽量さとを天秤にかけ使途別に材料を使い分けていた。そのバルサ材そのものである。
あれだけ慣れ親しんできた模型用の木材であったにも拘らずきれいさっぱり忘れていた事に大きな驚きを感じる。そしてその触感を味わいながら大いなる懐かしさを噛み締めている。