世界のウエムラ

夕べ早く寝ようとベッドに潜り込む。睡眠導入剤代わりのTVを見ていたらNHKスペシャルで植村直巳をやっていた。おかげでまた寝るのが遅くなってしまった。どうしてくれるのNHKさん。もっと民放並のしょうもない番組を組んでくれよ。


昔まだ私が現役の頃、山渓で【どんぐり、世界をめぐる】という題で植村直巳の連載記事があった。(記憶が定かでないので間違っていたらご免なさい。)昨日の特集は偶然かもしれないが大体その記事に沿っていたように思う。ただ短時間に収めなきゃあならないので、細かな所(実はウエムラを知る上でそこが最も大事な部分なのだが。)が大幅に割愛されていた。
高校卒業後すぐに明大に入った訳ではない。実は一度就職しているのである。そして入試の難関を突破した訳でもない、誰でもが簡単に入れる所を選んだら明大農学部に行き当ったということである。これは植村直巳自身が正直に語っている事である。
なので山岳部入部まもなくの合宿での辛酸は、自分より年下の同輩達の前でこれまた年下か同年輩の先輩達から受けたものなのである。精神的にも完膚無きまで打ちのめされたに違い無いのである。
ヨーロッパ彷徨時はスキーなぞ全くやった事が無いのにスキー場で職に就き、嘘はすぐばれるが懸命に働く姿を認められ以降ここの主人とは永く付き合う事となる。欧州人とは言えドライなだけではない。真剣に接すれば誰にでも情けはある。この恩人をウエムラはまるで親のように慕っていたのである。
その後ヒマラヤで涸沢乞食のような生活を送っていた所に、日本のエベレスト遠征に加わるようにとの話が来たのである。参加隊員達は皆自前で費用負担をしているが、植村は一銭も出していない。隊員達の中には露骨にそれを口にするものもいた。元々気の小さな植村はそのことを凄く気にしていた。だから自らポーターと同様に荷揚げでサポートしていた。他の隊員達が来る前からヒマラヤにいたのだから既に高地順化も済んでおりそこで知らず知らずの内にトレーニングを積んでいたのだ。体力的にも全く他の隊員達を寄せ付けないレベルにいたのである。遠征隊長としてはポーター代わりと思っていた植村が、隊員達より良く動けて登頂するのに最もリスクが小さい訳だから、遠征を失敗させるくらいなら植村にアタックさせようと思ったのだろう。植村は日本人でもある事だし。
植村にとって降って湧いたようなラッキーではあるが、隊員達の不満は肌で感じていたのである。だから頂上手前でトップを譲り、他の隊員達の為に頂上の石を拾って帰ったのである。
彼自身の自分自身に対する我儘さと他人に対する遠慮や怖れは、こういった細かな事を知っていないととても理解する事は出来ない。
本当に他人に対して気の小さい、オドオドとした人間だったのである。だからこそ社会に馴染めず人のいない山や極地でしか生きられなかったのである。


雪山賛歌の歌詞は本当の事である。「俺達ゃ町には住めないからに…。」
昔、山へ行く連中はそんな精神的にハンディを抱えた者ばかりだった。そんな片端者からすると社会的にも認められた立派な中高年諸氏に山を席巻されると逃げ場が無くなってしまうのである。
困ったなあ、もう山にも行きたくない…。 なんちゃって。