「逆成功」のルール

午前7:20頃目覚める。ベッドから手を伸ばしカーテンを開ける。
曇っていて少し暗いが本を読むには充分だ。
枕元に積上げてある本を取り読み始めると、「おとう、そんな本より早く【逆成功・・・】を読め!」とかみさん。
どうやら昨日、僕の留守中に先に読んでしまったらしい。
「正月用にとってあるの!」
「そんなしょうもない本よりあっちの方が為になるよ。30分もあれば読めるから。本屋で立読みでも良いのに。.」
僕としては折角買ったのだから斜め読みじゃなくじっくり読みたいのだが。
ともあれかみさんの言葉は無視。読み残しの方のノルマを果たす。


ベッドから起き出しメールチェックしてるとかみさんも起きてきて、
「今日は障子の貼替え! 早く剥してよ!」
まず先に生理的欲求を満たしていると、もう外した障子が外に運び出されている。
「こんなに一度には出来ん。」
「これぐらい出来る。」
結局押しきられ、並べた障子に水をかけはじめる。
しっかり濡れたところで紙を剥し桟に残った部分を木っ端でこそぎ落とす。
何枚もあると結構時間がかかる。曇っているおかげで乾きは遅いが手は冷たいし寒くて堪らん。
剥し終え桟を洗ってから乾くまでの時間を使ってAuを洗いはじめる。
ホースが出てるついでとはいうものの、洗車は嫌がらず障子紙はがしが嫌、というのは僕のわがままか?


埃を落とす程度のつもりがホイールまで洗ってしまった。
Auちゃんは見違えるほどの美人になっている。ほれぼれする。
思いのほか時間をくってしまい、家に入るとかみさんが障子紙を貼り始めている。
が、凄く下手くそ。
「おい、もっとまともに貼れよ。」
「あんたがやってくれないからじゃないの。早くやってよ。」
「本当に不器用なやっちゃなあ。」
「あんたが神経質過ぎるの!」
交替して貼り始める。その間におっかあは他の掃除。


一段落したらもうお昼を過ぎている。
休憩がてら食事に。洗ったばかりのAuちゃんは置いてカルちゃんで出かける。
食後かみさんを本屋にドロップして帰宅。障子紙もほどよく半乾きになっておりミミを落として仕上げ。
ああ、今日はよく働いた。
夕方【逆成功…】を読み始める。
もっと読みでがあるかと思っていたが、短文の繰り返し。かみさんが言うように、立ち読みに向いている。
しかし内容には考えさせられる。かみさんが言うように自分の生き方を見直さなければならないような…。
今の生き方、ものの考え方は、ずっと幼い頃に既に形作られていたように思う。というより他に選択肢が無かったのだ。
食べるのが精一杯の貧困家庭では、したい事があっても経済的に困難な事は小さなガキにも充分解る。それをおしてわがままを通すなんてできる訳がない。全て「あの葡萄はまだ酸っぱい。」と思い込み我慢する事に慣れてきた。
我を通すより人の顔色ばかり窺っている内その方が楽になってしまいそれが性格となってしまった。あげく内向的で人付き合いが苦手、人の相手をするより機械相手の方が気楽になってしまった。仕事以外誰とも付き合いのない会社人間ではあるが、書かれている内容は媚薬のようにも感じる。
真面目だけがとりえで、周りの皆にとって良いようにと努めてきたが、やはり米国流グローバルスタンダードには息がつまる。プレッシャーに耐え切れない時もある。
そんな時にこの本の記述は本当に気が楽になりほっとする。
スイッチを切り替えるようにはいかないがこんな考え方、生き方もあるという事を想い起こしてみよう。
現役(山の)の頃は多種多様の職種の人達との付き合いもあり、私自身多様性があったように思う。引退し家庭と職場しか自分の世界が無くなった結果今の状況になってしまったのだろう。
山仲間達が英国でのPUBの役割を果たしてくれていたのだと思う。
自分自身の多様性を維持する為にも出来るだけ積極的に人と接するようにしよう。


そうそう、正月用にもう少し読みでのある本を買って来なくっちゃ!