ジャングル開拓

柾木、珊瑚樹、金木犀、そして柘植。
我家の西面、隣地駐車場との境目。
先回秋口にある程度高さを揃えて珊瑚樹を刈り揃えたのですが、かみさんがまだ高過ぎると言います。あと50cm程低くても良いのだとか。それと西側嵌め殺し窓の前にある楓の奥にある金木犀も小さく刈れと言います。この金木犀、この家に引っ越してきた時にSさんから分けて戴いたものです。30数年間でしっかり根付き伸び放題。当初2m位だったのが3m位になっています。今までに何度か強剪定して頭を落とした物なんですが、その横からの枝がクネクネ伸びています。
その側の柾木が絡み合う様に伸びまるで一本の木から2種類の葉っぱが生えている様に見えます。おまけに横の珊瑚樹から伸びた大きな枝が絡みまるでジャングル。いや反対側の柘植も同じ位の高さに伸び風の通り抜ける隙間さえ無い程です。「これ、ジャングルやん。」
三脚脚立を出しかみさんに垣根の高さの確認をとると、三脚と同じ位の高さで良いとの事。てことは180cm位か。
北端から刈って行きます。幹が太過ぎるので剪定鋏では用を為さず。幹は鋸、小枝は鋏と使い分けながら刈って行きます。足元にはみるみる内に木っ端が山積みになって行きます。
そしていよいよ金木犀ジャングル。これも頭頂部を2mくらいに落とし小枝も落とします。枝も太いので当然鋸で。枝と枝の間隙を突いて柾木が同じ位の高さまで伸びています。結局柾木も3m位に伸びていたのか。これは三脚を降りて地面近くから切り落とします。(主幹は元々2m位で落としてあり、その根元付近から伸びた物が金木犀に絡んでいました。)
最後に柘植。上にばかり伸びて下の方は日が当たらず小枝ごと枯れています。それらも刈り取り風通しを良くします。
あ〜、スッキリした。悪戦苦闘3時間、ほんと草臥れたぜ。

サンホセ?

Do you know the way to San Jose?

先日、知人から「携帯電話の着信音を変えました。」とのメール。
貼付の写真にはクリストファークロスの【Arthur's Theme】のレコードジャケット。
日本名では【ニューヨーク シティ セレナーデ】でしたっけ。
「良い曲ですね。」とコメントを返すと同時に作曲者のバート・バカラックが懐かしく思い出されます。
この曲は私が30代に入ってからのものですが、それよりずっと以前、私が20才の頃がバカラックの絶頂期だったように思います。多くの人達に楽曲を提供し、それがどれも秀逸と言うか都会的な洒落たメロディーばかり。センスの良いメロディーが溢れ出る様はまるでモーツァルト並みかと思わせる程でした。
中でも当時一斉を風靡していたカーペンターズも多くのバカラックナンバーをカバーしており、彼女達の成功の大半はバカラックによるものでは無いかとさえ思っています。
そして最もバカラックの曲を世に知らしめたのは、紛れもなくディオンヌ・ワーウィック。圧倒的な歌唱力で聴衆に訴えかけるバカラックの曲は、音楽オンチのこの私をも虜にするには充分でした。大柄な体躯から発せられる豊かな声量は鳥肌が立つほどのものです。ヘイトスピーチと思わないで頂きたいのですが、決して美人とは言えないアフロアメリカンのおばさんの歌声には周りの者に四の五の言わせず圧倒する魔力がありました。
その他の人達へ提供された楽曲も多く、あれもそう、これもそうと数え出すと数えきれません。都会的なものも多いですがジャンルにとらわれないと言うかいろんな曲があるのも彼の魅力のひとつでしょう。銀行強盗の映画【明日に向かって撃て】の主題歌となった【雨に濡れても】なんてのもそのひとつです。Raindrops are falling on my head〜♫
でも最もよく覚えているのはやはり、I'll never fall'n love again〜♫ ですかね〜。
それともうひとつ、冒頭の【サンホセへの道】
San Joseと言う地名はあちこちにあるのですが、ワーウィック自身が発音しているように「サンノゼ」と呼ばれるのはひとつしかありません。サンフランシスコ湾の南側奥に面した今で言うシリコンバレーに位置するSan Jose市です。この辺りはメキシコの影響が色濃く残っている地域でスペイン語の地名が多く残されています。サンフランシスコ、ロサンゼルスもスペイン語の地名です。スペイン語ではJの発音は英語のHの発音となる為サンホセと発音するのですが、英語圏の人がそれを真似ると片言スペイン語となりサンノゼと言ってしまうようです。現地ではヒスパニック系の人も多く、サンホセと言ってもサンノウゼと言っても通じるようです。いずれも表記はSan Joseで、日本語特にカナ表記のようにサンホセサンノゼとはっきり別れてしまうと余計にややこしくなってしまいますね。

丁度この時期は名画も多く上映され、必ずと言って良いほどそれらにはテーマ音楽がセットされていました。音楽業界ではそれらが映画音楽というひとつのジャンルを形成していました。同時にムード音楽というフルオーケストラのジャンルも形成されており、そこにも映画音楽がよく収録されていました。ポールモーリア、レイモンルフェーブル、パーシーフェイス、カラベリと彼の煌めくストリングスなんて凝った名前の楽団もありました。
フルオーケストラによる繊細かつ重厚な演奏に慣れ、ワーウィックの様な洗練された歌唱力に触れていると、我が日本の歌謡界の音楽なぞ薄っぺら過ぎて聴く気にもなりません。まるで雀の子がチーチーパッパを歌っている様なもんです。そんな訳で日本の歌謡曲なんて余り惹かれることはありませんでした。サンプールのオーケストラに合わせてダニエルリカーリが歌った【二人の天使】というスキャットが流行るとその二番煎じで由紀さおりさんが〇〇のスキャットを歌ったりと真似ばかりでそれが一層和製Pops離れに拍車をかけたのだと思います。
映画音楽と言うとフランシスレイもこの頃活躍していました。私が高校の頃グルノーブル冬季五輪があり、そのテーマ曲【白い恋人達】を作曲したのもフランシスレイ。4年後の札幌冬季五輪ではその真似か【虹と雪のバラード】なんてのをトワエモアが歌っていましたがメロディーが一本調子で力の差を思い知らされたものです。
今、日本の歌謡界は男女ともに大人数のグループが流行りのようです。スターのような存在でなくすぐお隣に住んでいるような身近な庶民的な人を選んでいるようです。
質で敵わないなら数で勝負? 相変わらず私の芸能音痴は改善する気配はありません。

バチが当たった?

本日はかみさんがババ友たちとお出掛け。
もっけの幸いとばかり、お昼は丸亀うどんを頂きにお一人様で出かけました。
最近TVでよく宣伝しているのでつい引き寄せられて。
前回のお勧めの【豚玉ぶっかけ】や【トマ玉カレーうどん】などはメニューから消えており、どうやら季節限定だったようです。
さて困った、何を選べば? 通のお客さんは、普通のかけうどんにトッピングの組み合わせを選んでおられますが、それだけなら家とあまり変わり映えしません。
迷っていて目についたのが【牡蠣玉あんかけうどん】。写真もいかにも美味そうです。
精算レジにはPayPayも使えると表示してあります。「しめた、PayPayクレジットカード登録で貰ったポイントが使えるじゃん。」(最近は夫婦揃ってポイ活にご執心です。)
セルフでお茶を用意して、ネギ、天かす、おろし生姜などをトッピングして席に着きます。
まず餡のかかったお汁をすすります。「うんみゃあ。」上品なお味です。
次にうどんを掬いますが絡み合っていて少量掬うのが難しいです。一本だけ摘んで抜き取りそれを餡に絡めて一口。「う〜、熱々プルプル良い腰です。」
それから牡蠣を摘んでパクリ。「ん? 余り旨くねえ。」臭いと言う訳では無いのですが、牡蠣の旨味がうどんや玉子とじ餡の味と合っていません。牡蠣の味そのものが餡の味に違和感を与えている様な。牡蠣を煮るなら味噌仕立ての方が合いますね。
これは失敗でした。メニューには玉子とじ餡かけもあります。牡蠣は余分でした。次に来る時はこちらにします。出汁自体は上品な味でうどんにピッタリと合っていますが、薄い醤油仕立ての出汁に牡蠣は全く合っていません。出汁にピントを合わせると牡蠣の臭みが強調され、牡蠣の味にピントを合わせると出汁の旨味が感じられません。
と言う訳で餡かけうどんの味をターゲットとして楽しむ事とします。うどんが無くなったところで残った牡蠣を一気喰い。牡蠣だけの味を楽しみます。最後に残った餡と一緒になったお汁を頂きます。
う〜ん、別々に食べると旨かった。
PayPay払いなので腹は痛んでいないので良いのですが、失敗は失敗。かみさんの目を盗んで来たのでバチが当たったのかな?

Big Boss

生を受けた高砂市から神戸市に移り住んですぐ保育園に入園されられた。
孫二人を養う為に祖母は商売に励んでおり、小学校に上がった姉は手がかからなくなっていた為、それじゃあ私もあずかって貰えるところにって事だったのでしょう。
初日の事は朧げながら今でも記憶に残っています。園にひとり取り残され不安になっていたところ、同じ園児のお嬢さんがなにかと親切に教えてくれました。それで一緒に遊ぼうと嫌がるその子を追い回してしまったようです。その時私の前に立ちはだかった少年が、「女の子を虐めちゃいけません。」
突然の事にどうして良いのか判らなかった私。
その少年が新庄武君でした。その後どう言う経緯か覚えていませんが、生まれて初めて無二の親友を得る事となりました。それ以前の生まれた所の記憶など全くありませんが、この事はよく覚えています。そしてそれ以降は常に一緒。
新庄君の家は保育園や小学校への途中にあり、鉄材を商っていました。店の中に自動で鉄材を切る機械がいつも動いており切削剤の白い液が常に流されていました。どう言うわけかそれが面白くいつも観入っていた記憶があります。
両親も揃って居り我家よりずっと裕福でその当時でテレビがあるくらいでした。休みとなると新庄君の家にお邪魔してテレビを観たり或いは二人で大倉山や楠公さん(湊川神社)の辺りで遊んだり。周りは傾斜地で下り道を思いっきり駆けると恐いくらいスピードに乗ったのを思い出します。
小学生になってからもその仲は続きました。ある時同じクラスの男の子も一緒に新庄君の家で遊んだ事があります。その時私の知らない遊びを二人がしていました。それが野球ごっこ。父親が身近にいない私はこの時初めて野球と言うスポーツがある事を知ったのです。私が知らない遊びを二人だけで楽しんでいる。なんだか新庄君を盗られてしまったような気がして、生まれて初めて嫉妬と言う感情を知った瞬間でした。
それでも新庄君との親交は続いていたのですが、突然それを失う事になります。
いつだったでしょうか、私が名古屋へ移る前ですから小学4年生より前だと思います。
新庄君が尼崎市へ引越ししたのです。自宅だった所の鉄材屋さんは継続して営業していましたから会社員で社宅兼営業所だったのかも知れません。

その後長い時が経ち、相変わらず私は野球音痴のまま。プロ野球なんて全く見向きもしないのですが、どう言うわけか幼い頃に過ごした神戸市には愛着があります。そしてプロ野球阪神タイガースの隠れファン。そのタイガースで新庄と言う名の選手が活躍している事を知ります。結構目立ちたがり屋なところもありますが、あれだけ実績を残していれば悪く思う事もありません。「ああ彼なりに自分を鼓舞するためにやってるんだなあ。」と微笑ましく思っていました。
名前がツヨシなのでもしや新庄君(タケシ)のお子様では? なんて思いましたが それは無かったようです。それでも新庄君と同姓と言う事でやはり愛着を感じます。
その新庄剛志さん、日ハムの新監督としてメディアに出ずっぱりです。
一部の人が悪感情を抱いているようですが、殆どの人達は肯定的です。
選手時代は自らを鼓舞し見えない所で鍛え抜き表面的には軽薄とも取られかねないパフォーマンスを演じていた彼が、今度はチームメンバーを育てながらチーム全体のパフォーマンスアップを図って行く。
たとえスポーツであってもプロ野球はエンタテイメント。お客さんからのお金で生活して行くのですからお客さんと供にプレイを盛り上げ楽しませる事が大切です。
一人の選手としてだけならストイックに修練する事だけに徹するのもひとつの選択肢ですが、皆が皆それではエンタテイメント性に欠けてしまいます。
Big Boss、あれだけのパフォーマンスを演じるにはそれなりの批判やリスクは覚悟してやっています。彼を批判する人って、そのリスクを取る事が出来ない決断力に欠ける人が嫉妬心に駆られて言っているだけの様に思います。

祝還暦

一昨日27日はかみさんの還暦祝い。誕生日は半月前に過ぎているのですが、家族全員の都合でこの日にあらためて行う事に。
夕方からなので私は健康管理の為に早朝から鈴鹿通い。託かりもあるので当然早仕舞いしてきました。
帰途乗鞍のヤマギシファームで買い物。帰宅後は予約してある大黒寿司に受取りに行く予定でしたが、早めに家に来たT哉が所用ついでに行ってくれるとの事。
お祝いの御本尊様であるかみさんの帰宅と同時に還暦パーティーの始まりです。
どうやらかみさんは伊藤忠バーゲンに行っていたようで色々買い込んで来たようです。そこで買ったカツサンドと一緒に用意してあったサラダで食べ始めます。スギモトのステーキ肉も買って来たようで、皆が舌鼓を打っているのに自分だけ調理しています。孫の好物ならなんのその。
やっぱ高い肉は美味いなあ。無茶苦茶軟らかいし。フライドポテトも揚げたて熱々が一番ですね。
お兄ちゃん達がお寿司を食べいると史クンはシャリだけを欲しがります。酢飯って甘いからかな? 史クン大好き安上がり!
宴も終盤、テーブルを片付けてケーキの登場。これもかみさんが帰りに覚王山まで行って受取って来たものです。P.P. 杁ヶ池店が無くなり不便になりました。

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甘いものは別腹、残すくらい食べたのにケーキはまだ入るんですね。
私ゃ割り当ての内上に乗った苺を食べただけ。明日かみさんが片付けてくれるでしょう。

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涼、浩はそのままお泊まり。史クンがお母ちゃんの手を離れ、子供達だけで家に泊まれるようになるのももうじきです。

一緒になってもう40年、来年はルビー婚式。
色々ありましたが過ぎて仕舞えば、あっちゅうま。
後はS司がなんとかなってくれればなあ。

堪えます

寒い一日でした。
A5のタイヤ交換でもやっておこうと思いながらも、寒くて腰が上がりません。
それで昨日録画しておいた劔大滝の紅葉(BSプレミアム)をお炬燵に入って観賞。その後も寒くてお炬燵から出られず、iPadnetnews
そうこうしているうちに時刻は12時半を回ってしまいました。今日はかみさんはババ友達からの還暦祝いのお食事会。念願の丸亀うどんでもいただきに行こうと思っていたのですが、ボッチで出かけるのが面倒になってしまいました。それに無茶苦茶寒いし。残り物ならいっぱいあるのでそれを片付ける事に。
後片付けの後は託かっていた流し台の掃除。重曹を着けてゴシゴシ。全身運動のお陰で身体も暖まって来ました。その勢いで洗濯物の取込み&片付け。
外気温もそこそこ上がっているようです。風は冷たいですが車庫の中なら大丈夫。って訳で軽を放り出しA5を車庫の真ん中に移動。冬タイヤへの交換に取り掛かります。
245/40R18ピレリは重いです。おまけに5穴ホイール。先週交換した軽とはえらい違い。う〜 、腰にくる。
なんとか4本とも交換しましたが、夏タイヤの水洗いはさすがに気が萎えてしまい端折る事に。あまり汚れていないので雑巾で拭くだけ。これなら乾燥の手間もなくそのまま仕舞えます。
後はGSへエアー充填に。
後何回こんな事繰り返すのかな〜? さすがに堪えますがこれで5,000円が節約出来るのなら、まあ仕方のない事ですね。

呼名も生き物?

NHK BSプレミアムで【山女日記】と言うドラマを放映しています。以前にも何度か同シリーズを放映していました。ストーリーを楽しむと言うより山の景色を観る為に毎回録画しています。放送が日曜の夜で、その時間帯とはタイミングが合わないので後日暇な時に観ています。
本日昼前、雨の為月命日の墓参りを端折ったおかげで暇が出来、暇潰しに観る事に。
この年になると余程素晴らしいストーリーでもなかなか感動するには至りません。それよりしょうもない事ばかりが気になってしまいます。
前週出て来た山小屋、冷池小屋である事は解りますがドラマの中ではその名前を呼んではいませんでした。そして今回の放映では「つめたいけ」と呼んでいました。
終盤では白馬大雪渓も「はくばだいせっけい」と呼んでいました。
駅名は「はくばえき」地名の白馬町も「はくばちょう」になっていたのは知っていますが雪渓の名前もそうなってしまったのかな? もはや「しろうま」の呼名は山だけになってしまったのでしょうか?
蛇足ですが「しろうま」は苗代の代(しろ)から来ており、田植えシーズンに白馬岳に表れる雪形が馬に見える事からそれを代馬(しろうま)と呼び、いつの間にか白馬の字が当てられるようになったものです。(馬の形は雪が融けた部分なので色で言えば黒馬になります。)
経緯を知らない外部の人が漢字だけを見るとその人の呼びやすい呼び方で読んでしまうのは当然の事です。地元の10人の呼び方より外部の1000人の呼び方の方が圧倒的に大きい訳で、そうなってしまうのはいたしかたの無い事なのでしょう。
話を冷池に戻します。少なくとも半世紀前は「つべたいけ」と呼んでいました。確か山渓社の(アルパインガイド後立山連峰)でもそうルビが振られていたと思います。
「絶対におかしい。NHKともあろうものが。」と思いながらnetで調べてみると、何もかもどこもかしこも「つめたいけ」の読みになっているではありませんか。裏付けの為アルパインガイド本を探しましたが見つかりません。物に固執しない、コレクター魂皆無のtanuoさんの事ですから、どこかに四散してしまったのでしょう。
ああ、ここでも古い本来の呼名が淘汰されてしまったのか。
この日記を書いている時にローマ字入力から漢字に変換していると、「つめたいけ」と入力すると「冷た池」しか候補に挙がりません。試しに「つべたいけ」と入力すると、なんと「冷池」が候補に挙がって来たではありませんか。カナ漢字変換にはこの呼名が残っていたんですね。いや〜驚きました。そしてなんとなく嬉しくなっちゃいました。
呼名も生き物。いずれ変わって行くことは仕方の無い事ですが、本来の生い立ちは遺して行きたいものです。

ところで劇中で、帽子作りにミシンが出て来ましたが、それにはJUKIのエンブレムが。
「ミシンと言えばbrotherだろ! 」とツッコミを入れたくなりますが、電子業界にいた私、brother社の変遷も知っています。ミシンのトップメーカーでありながら私が就職した頃から既にプリンターも造っていました。もっともその頃はプリンターメーカーの雄であるセントロニクスのOEMでしたが。当時のプリンターインターフェイスはセントロニクス社仕様が標準となっており、日本では一般的に「セントロ仕様」と呼んでいました。今となっては懐かしい言葉です。(今のプリンターは無線LANが一般的で俗にエアープリンターなどと言っています。有線でもUSB接続ばかりでセントロのアンフェノールコネクタやサブミニチュアDコネクタなんて全く見かけません。ミシンに固執していたら今brotherは会社が存在していなかったかもしれません。
結婚した当初、かみさんがキャッチセールスに会いどうしようもなく相談して来たことがあります。「買えば良いじゃん。」の一言でかみさんの表情が一転。余程安心したのでしょう。その当時(半世紀前)で20数万円、流行りのコンピュータミシンでした。それがbrother製。購入後イントラのおばさんが使い方説明にわざわざ我家まで。値段が値段だけに手厚いアフターフォロー付きでした。当時虹ヶ丘団地でしたが、そのおばさんに平針住宅を紹介され手狭な所から少し広くなりました。人生、どこにどんなきっかけが待っているか解りません。brotherからとんでもない事まで思い出してしまいました。

で、山女日記の感想は? 不感症のtanuoさん、な〜んも印象に残っていません。鹿島槍の赤岩尾根、あの形が印象的でした。北峰-南峰間の雪田、あれは秋まで残り水に困らないんだよな〜。