サンホセ?

Do you know the way to San Jose?

先日、知人から「携帯電話の着信音を変えました。」とのメール。
貼付の写真にはクリストファークロスの【Arthur's Theme】のレコードジャケット。
日本名では【ニューヨーク シティ セレナーデ】でしたっけ。
「良い曲ですね。」とコメントを返すと同時に作曲者のバート・バカラックが懐かしく思い出されます。
この曲は私が30代に入ってからのものですが、それよりずっと以前、私が20才の頃がバカラックの絶頂期だったように思います。多くの人達に楽曲を提供し、それがどれも秀逸と言うか都会的な洒落たメロディーばかり。センスの良いメロディーが溢れ出る様はまるでモーツァルト並みかと思わせる程でした。
中でも当時一斉を風靡していたカーペンターズも多くのバカラックナンバーをカバーしており、彼女達の成功の大半はバカラックによるものでは無いかとさえ思っています。
そして最もバカラックの曲を世に知らしめたのは、紛れもなくディオンヌ・ワーウィック。圧倒的な歌唱力で聴衆に訴えかけるバカラックの曲は、音楽オンチのこの私をも虜にするには充分でした。大柄な体躯から発せられる豊かな声量は鳥肌が立つほどのものです。ヘイトスピーチと思わないで頂きたいのですが、決して美人とは言えないアフロアメリカンのおばさんの歌声には周りの者に四の五の言わせず圧倒する魔力がありました。
その他の人達へ提供された楽曲も多く、あれもそう、これもそうと数え出すと数えきれません。都会的なものも多いですがジャンルにとらわれないと言うかいろんな曲があるのも彼の魅力のひとつでしょう。銀行強盗の映画【明日に向かって撃て】の主題歌となった【雨に濡れても】なんてのもそのひとつです。Raindrops are falling on my head〜♫
でも最もよく覚えているのはやはり、I'll never fall'n love again〜♫ ですかね〜。
それともうひとつ、冒頭の【サンホセへの道】
San Joseと言う地名はあちこちにあるのですが、ワーウィック自身が発音しているように「サンノゼ」と呼ばれるのはひとつしかありません。サンフランシスコ湾の南側奥に面した今で言うシリコンバレーに位置するSan Jose市です。この辺りはメキシコの影響が色濃く残っている地域でスペイン語の地名が多く残されています。サンフランシスコ、ロサンゼルスもスペイン語の地名です。スペイン語ではJの発音は英語のHの発音となる為サンホセと発音するのですが、英語圏の人がそれを真似ると片言スペイン語となりサンノゼと言ってしまうようです。現地ではヒスパニック系の人も多く、サンホセと言ってもサンノウゼと言っても通じるようです。いずれも表記はSan Joseで、日本語特にカナ表記のようにサンホセサンノゼとはっきり別れてしまうと余計にややこしくなってしまいますね。

丁度この時期は名画も多く上映され、必ずと言って良いほどそれらにはテーマ音楽がセットされていました。音楽業界ではそれらが映画音楽というひとつのジャンルを形成していました。同時にムード音楽というフルオーケストラのジャンルも形成されており、そこにも映画音楽がよく収録されていました。ポールモーリア、レイモンルフェーブル、パーシーフェイス、カラベリと彼の煌めくストリングスなんて凝った名前の楽団もありました。
フルオーケストラによる繊細かつ重厚な演奏に慣れ、ワーウィックの様な洗練された歌唱力に触れていると、我が日本の歌謡界の音楽なぞ薄っぺら過ぎて聴く気にもなりません。まるで雀の子がチーチーパッパを歌っている様なもんです。そんな訳で日本の歌謡曲なんて余り惹かれることはありませんでした。サンプールのオーケストラに合わせてダニエルリカーリが歌った【二人の天使】というスキャットが流行るとその二番煎じで由紀さおりさんが〇〇のスキャットを歌ったりと真似ばかりでそれが一層和製Pops離れに拍車をかけたのだと思います。
映画音楽と言うとフランシスレイもこの頃活躍していました。私が高校の頃グルノーブル冬季五輪があり、そのテーマ曲【白い恋人達】を作曲したのもフランシスレイ。4年後の札幌冬季五輪ではその真似か【虹と雪のバラード】なんてのをトワエモアが歌っていましたがメロディーが一本調子で力の差を思い知らされたものです。
今、日本の歌謡界は男女ともに大人数のグループが流行りのようです。スターのような存在でなくすぐお隣に住んでいるような身近な庶民的な人を選んでいるようです。
質で敵わないなら数で勝負? 相変わらず私の芸能音痴は改善する気配はありません。