Big Boss

生を受けた高砂市から神戸市に移り住んですぐ保育園に入園されられた。
孫二人を養う為に祖母は商売に励んでおり、小学校に上がった姉は手がかからなくなっていた為、それじゃあ私もあずかって貰えるところにって事だったのでしょう。
初日の事は朧げながら今でも記憶に残っています。園にひとり取り残され不安になっていたところ、同じ園児のお嬢さんがなにかと親切に教えてくれました。それで一緒に遊ぼうと嫌がるその子を追い回してしまったようです。その時私の前に立ちはだかった少年が、「女の子を虐めちゃいけません。」
突然の事にどうして良いのか判らなかった私。
その少年が新庄武君でした。その後どう言う経緯か覚えていませんが、生まれて初めて無二の親友を得る事となりました。それ以前の生まれた所の記憶など全くありませんが、この事はよく覚えています。そしてそれ以降は常に一緒。
新庄君の家は保育園や小学校への途中にあり、鉄材を商っていました。店の中に自動で鉄材を切る機械がいつも動いており切削剤の白い液が常に流されていました。どう言うわけかそれが面白くいつも観入っていた記憶があります。
両親も揃って居り我家よりずっと裕福でその当時でテレビがあるくらいでした。休みとなると新庄君の家にお邪魔してテレビを観たり或いは二人で大倉山や楠公さん(湊川神社)の辺りで遊んだり。周りは傾斜地で下り道を思いっきり駆けると恐いくらいスピードに乗ったのを思い出します。
小学生になってからもその仲は続きました。ある時同じクラスの男の子も一緒に新庄君の家で遊んだ事があります。その時私の知らない遊びを二人がしていました。それが野球ごっこ。父親が身近にいない私はこの時初めて野球と言うスポーツがある事を知ったのです。私が知らない遊びを二人だけで楽しんでいる。なんだか新庄君を盗られてしまったような気がして、生まれて初めて嫉妬と言う感情を知った瞬間でした。
それでも新庄君との親交は続いていたのですが、突然それを失う事になります。
いつだったでしょうか、私が名古屋へ移る前ですから小学4年生より前だと思います。
新庄君が尼崎市へ引越ししたのです。自宅だった所の鉄材屋さんは継続して営業していましたから会社員で社宅兼営業所だったのかも知れません。

その後長い時が経ち、相変わらず私は野球音痴のまま。プロ野球なんて全く見向きもしないのですが、どう言うわけか幼い頃に過ごした神戸市には愛着があります。そしてプロ野球阪神タイガースの隠れファン。そのタイガースで新庄と言う名の選手が活躍している事を知ります。結構目立ちたがり屋なところもありますが、あれだけ実績を残していれば悪く思う事もありません。「ああ彼なりに自分を鼓舞するためにやってるんだなあ。」と微笑ましく思っていました。
名前がツヨシなのでもしや新庄君(タケシ)のお子様では? なんて思いましたが それは無かったようです。それでも新庄君と同姓と言う事でやはり愛着を感じます。
その新庄剛志さん、日ハムの新監督としてメディアに出ずっぱりです。
一部の人が悪感情を抱いているようですが、殆どの人達は肯定的です。
選手時代は自らを鼓舞し見えない所で鍛え抜き表面的には軽薄とも取られかねないパフォーマンスを演じていた彼が、今度はチームメンバーを育てながらチーム全体のパフォーマンスアップを図って行く。
たとえスポーツであってもプロ野球はエンタテイメント。お客さんからのお金で生活して行くのですからお客さんと供にプレイを盛り上げ楽しませる事が大切です。
一人の選手としてだけならストイックに修練する事だけに徹するのもひとつの選択肢ですが、皆が皆それではエンタテイメント性に欠けてしまいます。
Big Boss、あれだけのパフォーマンスを演じるにはそれなりの批判やリスクは覚悟してやっています。彼を批判する人って、そのリスクを取る事が出来ない決断力に欠ける人が嫉妬心に駆られて言っているだけの様に思います。