タイノワール

本日のヤマギシのお買物で。
何やらイベントをやっているようで雨にも拘らず店外にテントを張って屋台が出ています。焼きそばやら焼鳥やら・・・。
買物の後は恒例のお楽しみであるコロッケとバニラソフト。ソフトは券だけ受取り、一旦車に戻りコロッケを頂きます。今日のはちょっと冷めていますが充分美味しいです。これくらいが火傷せずに丁度良いかも。その後ソフトの交換に行こうとすると、かみさんが「たい焼き、たい焼き。」
たい焼き1個を買いソフトを受取り車へ。
車を出していると、かみさんは両方を代わる代わる食べています。道路に出てソフトを催促してもちっとも渡してくれません。
そして、「たい焼きの餡とソフトが凄く合う! 次からはこれだね、シロノワールじゃなくてタイノワール。」
「たい焼きなんていつもやってないぞ。」
「良い、イベントの時は必ずこれ。」
暫くしてやっとソフトを寄越したと思ったらほんの少し。たい焼きは包紙のみ。
ホント甘い物には目が無いんだから・・・。

本日のお楽しみ代、コロッケ80円×2、ソフト100円、たい焼き120円、しめて380円。
これだけで充分幸せ気分に浸れます。愉しき哉、年金暮らし!

もうすぐ10年

ここ数年かなり症状が和らいでいた花粉症、加齢とともに免疫が弱りそのおかげかと思っていましたがとんでもない、今年は久々に重症です。
数日前から目が痒く昨日なぞ休む暇なく鼻水に悩まされ、今日も朝から鼻のかみっぱなし。眼科の目薬だけでは抑えきれないようです。あ~、小鼻の横が痛い。
そんな中、温かくなってきた所為かかみさん身中の虫が騒ぎ出し、毎日家中の整理に駆り出されています。

風呂場の大掃除
これは通常の大掃除以外に今まで一度もやってない取っ手や吐水栓などの金属部分や鏡のウロコ取りまでも。洗剤では役に立たず重曹水でもダメ。ついには奥の手少量の水で粘った重曹を塗り付けラップで覆い暫く経ってから擦ります。重曹とタンパク汚れの化学反応と言うより、融けきれない重曹の粒で機械的に削り落としているようなものです。重曹コンパウンド?とでも言いますか。
お陰でかなり綺麗に落ちました。新品同様の艶!

階段下収納庫の整理
平置きかせいぜい段ボールの箱の上にスタックしてあり、物は出し辛いしスペースファクターは悪いし。
それで壁に棚を取付けて出し入れし易くしようとのお言葉。中の寸法を測り、二人でnetで調べたりホームセンターへ物色に出かけたり。すぐに買わない慎重派のかみさんはいろいろ逡巡しています。
面倒臭くなって、「2階に置きっぱなしの金属製パイプラックを使ったら?」と言っても「あんなもの嫌だ!」
「取敢えず入れてみたら?」と言って入れたら誂えたかのようにジャストフィット。そしたら「まあこれでも良いか。」と負け惜しみ。
収納する前に全てチェックすると、段ボール箱の中身は建替え時の引っ越しで梱包したままのもの。梅干などの空瓶や甕、どなたかの結婚式の引出物等々。考えるまでもなくそのまま収納庫行き。もうお弁当を持って行く人もいないしキッチンに出ているものだけで充分。引出物も用途の無いものばかりですね。いやこんな事言っちゃ駄目ですね。
使わない物は奥へ。よく使うものはラックへ。これだけ詰め込んでもまだまだ余裕があります。家って広かったんだね~。

サニタリー周り
洗濯機の上ががら空き。壁側にタオル収納用棚を着けていましたが置けないものが洗面台周りにはみ出していたので、効率よくしようとの事で壁取付け用の大きな棚を洗濯機の上に付けたいとの事です。かみさんはこれも色々調べていましたが、階段下のラックで思いついたのかS司が東京で使っていたパイプラックを思いついたようで車庫から出して来るように言います。寸法を見てみるとこれも誂えたようにピッタリ。早速組み立てて設置します。ついでに洗濯機を出しそに下も大掃除。
これで色々な物が置けます。いっぱい置いてもまだまだ余裕綽々。

さて次は何を仰せつかるんだろう。
毎日毎日お片付け。よくもまあ思い付くもんです。
ついこの間だったと思っていたら、建替えてからもう10年経つんですねえ。
そうそう打合せも終盤にかかり、10年前の3月11日は打合せの為に早退、帰りの地下鉄が赤池駅で停まり強制的に下車させられ、そこで大きな地震があった事を知らされたのでした。
暫くして運転再開、帰宅後のニューズでその大きさに驚く事に。その後TVで流される津波の実況、被災地の被害の大きさに一瞬建替えを止めようかと思った事を思い出します。
そうか、今日がその日でした。改めて被災した方々のご冥福をお祈りします。
不謹慎ながらその年の8月に我家の建替えが完了したのです。
10年経てば色々気になる所も出てくるのでしょうね。

主夫感覚

定年退職してはや5年と8ヶ月。
とても主婦の方々には敵いませんが、物の値段についてはかなり相場が解るようになりました。多少は主夫感覚が身に付いてきたって事でしょうか。
退職前は必要に迫られマーケットで買い物をしても、それが高いのか廉いのかなんて考えた事もありません。持ち帰ってから「こんな高いもの買って!」などとよくお小言を頂戴したものです。まあ私自身のお小遣いで買っているので左程責められる事はありませんでしたが。
退職しお小遣いを減らされ、また内緒の副収入が無くなると可処分収入もかなり減少。かみさんとのデート費用やプレゼントも今まで通りとは行かず、収支を考えなければならない事に。
ヘソクリ資産が右肩下がりに転じると、そのカーブを補正すべく出費を抑える方へ力が作用します。なんてことはない、無駄なものは買わない、必要なものも効率良く廉く、と言う力学が働く訳です。
「窮すれば通ず」とはよく言ったもので、お陰様でどこのお店なら〇〇がいくらで最安値、但し家から×kmでガソリン代△円がかかる。トータル△円以上のコストダウンが無ければ返って高くつく。なんてことを直ぐ暗算してしまいます。お陰でボケ防止にもかなり役立っているかと思われます。

週一回かみさんに同行して徳重にあるヤマギシの店舗で買い出ししています。買う量が多いので力なしのかみさんには車への積込みが出来ないものですから。(かなり良くなったとは言え障害者手帳保持者です。)まあ顔馴染みなのでお店の人に頼めば積込んでくれますが、なるべくお手を煩わせ無い様にと。
それに私も毎週のこの行事が楽しみになっていますし。そう買い物の後揚げたてのコロッケを食べ、その後はソフトクリームを頂きながら片手運転で帰途に就いています。
コロッケ2個で160円、ソフト1個100円は二人で半分こしながら。いずれも内税ですからコスパ最高! この260円が毎週の私の活力源。 ホント、〇ビやなあ。
とは言えヤマギシって食材の安全性に拘っている所為か通常のマーケット価格より群を抜いてお高いです。でもこれは家計費からなので「オラ知らね。」

先日そのヤマギシへ向かう途中、かみさんが「新しく出来たドラッグストアへ寄りたい。」
言われるまま行くと白土に在ったドミーがコスモスなるドラッグストアに変わっていました。最近のドラッグストアは薬だけでなく食料品も扱っています。
中を一回りすると表示価格の廉さにビックリ。何もかも私のデータベースにある最安値より群を抜いてお廉いです。いや、中にはそれほどでもないものもありましたが。
それでつい余計な買い物を・・・。いやいずれ使うものなので無駄にはなりませんが、本来なら家計費科目のものまで買わされてしまいました。
レジではスキャナーでバーコードを読むだけ。清算はその横の精算機で客本人が行います。へ~、こうやって人為ミスの防止や省力化を図っているのか。そして予め計算していた金額より低い事に気付きます。もしかして全て税込価格? レシートを確認するとやはりそうでした。「と言う事は、無茶苦茶廉いやんけ。」ご丁寧に合計金額の内、税率10%分がいくら、8%分がいくらと印字してあります。メチャ安!
外へ出て看板を見ると「毎日が最安値」と書いてあります。EveryDay Low Priceなんて米国小売業の雄、ウォルマートみたいじゃん。
特売日を設けて集客をするのが一般的な小売店よりこう言ったところの方が私は好きです。第一お店側も面倒臭くないし、より省力化効率化が図れます。無駄を省いた分低価格と言う形で顧客への還元も大きくなります。

コスモスさんに感動したものの、やはり家からは遠いです。何かのついで、あるいはヤマギシ通いのついででないと来ることは無いでしょう。無駄にガソリン代を使っていたら返って高いものになってしまいますもんね。それこそコスモスさんの努力に水を差す事になってしまいます。
かくしてtanuoさんの主夫感覚は日々研ぎ澄まされて行きます。

春ですね~

お目め痒い痒い花粉症。
鼻も痒い痒い花粉症。

年とともに免疫が弱って来たのか、ここ数年はかなり症状が軽くなっていたのに今日は最悪です。
それにも拘わらず今日も庭仕事。やってる途中で一旦家に入り鼻をかみ点眼。今やっと一段落したところ。
庭に出るたび春の色が増してきます。

枝垂れ梅が咲いています。

茱萸の苞が開き蕾がいっぱい現れました。中には開花し蕊が出ているものも。

福寿草はそろそろお終い。

ヒマラヤユキノシタも咲き始めています。

先日あれだけ抜いたのにヒメオドリコソウがそこらじゅうで咲いています。

ホトケノザはまだチラホラですが草自体は大きく伸びています。これも先日抜いたのに。
クリスマスローズもいつの間にかいっぱい咲いています。あまり綺麗じゃないので写真はパス。

三つ子の魂

という訳ではありませんが、幼い頃受けた影響ってやはり大きいですね。
先日の【東川崎小学校】ですが、あの辺り地図では東川崎町となっていました。すぐ近くには川崎重工が在りそこから名付けられたものと思われます。
登校時より早い時間帯には神戸駅から大勢の人が吐き出されそれがまるでデモ行進のように勤務先の工場へ向かっていた事を思い出します。あれが今の通勤ラッシュのはしりだったのでしょう。
一般の人達にはバイクのカワサキで馴染み深いと思われますが、東川崎町川崎重工は当時は造船が主でした。戦後復興期の一翼を担っていたのです。
尤も今は造船は止めてしまい、防衛産業、航空宇宙産業等が主力のコングロマリットとなっています。
その少し南側、和田岬には三菱重工があります。こちらも造船は規模縮小、防衛庁御用達の潜水艦はやっていますが確か佐世保でしかやってないんじゃあ?
いずれも戦前から重厚長大産業のライバルで、この地では造船業でしのぎを削っていました。戦闘機でもしのぎを削っていたのは宮崎駿の【風立ちぬ】でもご存知かと思います。
その三菱重工造船所の前身である内燃機製作所に加藤文太郎が勤めていました。私が生まれる30年ほど前になりますが。
しかし同じような景色を眺めていたのは間違いありません。私も小学校へ上がる前から姉達に連れられ六甲の山域に毎週のように入り込んでいましたから。

東川崎小学校の記憶で今でも鮮明に残っているものがあります。皆が講堂に集められ映画を観せられました。当時はまだ珍しかったカラー映画で、二人の男がザイルで繋がり岩山を登っているものです。途中落ちるシーンもありハラハラドキドキ。今にして思うと、レビュファの【星と嵐】だったのだろうと思います。今の時代なら小学校でこう言った映画の観賞もあるでしょうが、当時と言う時代にしてはかなり斬新な取組みだったと思います。尤もそれが普通と思っていた私は大いなる田舎の名古屋に来てその違いに大いに落胆したものです。
この映画から受けたインパクトはかなり大きかったと思います。未だに覚えているくらいですから。しかし当時の私は自分とは全く別世界の事としか考えられませんでした。
とは言え山にのめり込む為の下準備はこうやって幼い頃から仕組まれていたのだと思います。

もう一つ、同じく小学2年くらいの頃地域のいろんな学校から一部の人達が集められ、そこで「何でも良いから好きなものを造るように。」と粘土を渡された事があります。
何でも良いと言われても何も思いつきません。その場所が山の麓の丘陵地帯で間近に急峻な山が迫っていた為か、そんな地形に何かを感じたのでしょう。急峻な岩山とその下の牧場、街などジオラマのような物を作り始めました。それが面白くて面白くて有頂天になっていました。途中で時間切れとなってしまいましたがそれがとても残念だった事を思い出します。
これも後に彫刻を始めるようになってから岩山の形の面白さに魅せられるようになった事への前触れだったのでしょう。

こうやって幼い頃からひとつづつ、無垢な心に刷り込まれて行ったものが今の私の礎になっているのだと思います。

そう言えば昔同じようなことを述べた事があるのを思い出しました。
あれは・・・、そうそうこれでした。↓

http://whike.net/bangai/yama.htm

地図遊び

地図を見るとついこれをやってしまいます。
何てことはない、ただ自分の頭の中で認識している空間と地図とを照合しそれらが合致しているか確認するだけなのですが、新しい発見が次々と見出されそれが楽しいのです。
これは山岳地帯だけでなく道路も含めいろんな地点の位置関係を再確認し、それが楽しいのです。
最近では地図上に新しい道路や建造物が増えそれが頭の中の空間認識と不整合を起こし戸惑う事が増えました。それでも難解なパズルを解くようにどこがどう変わったのか推測し無理矢理帳尻を合わせ自分を納得させています。少々消化不良気味ですが、それも含めて地図遊びは楽しいものです。

つい先日新名神高速から大阪、神戸方面まで目が行ってしまい、幼かった頃の記憶を辿りながらJR神戸駅付近を徘徊してしまいました。
地図上ではその頃の道路とかなり配置が変わっており戸惑う事ばかり。市電(路面電車)はかなり昔に廃止されその線路跡も整理されビルや道路に変わっているようですが、なんとなくその面影も残っています。自宅のあった辺りは、おそらくこの辺りだろうと見当は付きますが定かではありません。
古い寺社等はおそらく変わる事はないので湊川神社から大倉山、その横の神戸大は区画ごと大きな変化はないものと思われます。
「この経路で宇治川沿いに山の中に入って行ったのかなあ?」などと朧げな記憶と地図を照合させます。
一方海岸近く、小学校は?と地図を追って行くと小学校が見当たりません。航空写真に切り替えて建造物の状況を確認しますがやはりそれらしいものがありません。
細い路地を辿って行った先にあった筈。その途中に【大慈ひょうご云々こども園】なるものがあり、これが私が通っていた【大慈保育園】の今の姿なのでしょう。
それならその先にあった筈・・・。
東川崎小学校で検索すると簡単にヒットしました。が、現在では他の2校と計3校が統合され神戸市立湊小学校となったようです。場所も左程遠くない北側にありました。
そうですよねえ、記憶にあるのはおよそ60年前の事ですからねえ。
頭の中で平面の地図遊びをしているつもりが、時空を超えて60年後の地図と出会うことになろうとは。

無線学校を卒業した時、一度神戸へ行った事があります。その時はまだ存在していました。
小学2年の時の担任、沢野先生を訪ねて。この先生には大きな影響を受けました。
年齢の割に早熟だったのか、作文で1年生の時の担任をかなり辛辣に批判したらしく、その他にも学校の矛盾点なども生々しく書き連ねてあったそうです。それで保護者(祖母)と色々話し合ってくれたそうです。
その頃いきなり祖母が木琴を買ってくれました。生活に余裕なぞ無い筈なのに?と思いながらも深く考えないのが能天気な私の真骨頂。
これは後に姉から聞いた事なのですが、「音楽か何か打ち込めるものがあった方が良い。」と沢野先生からの提案があり、それで買ってくれたそうです。
そうまでしてもらいながらも私の興味はやはり絵画の方に向いてしまいました。沢野先生は凄く熱心な先生で当時の他の先生の授業とかなり異なっていました。元々評判も高かったのでしょう。神戸市内の他校から多くの先生方が沢野先生の授業を参観に来る事もありました。
専門が美術であったそうで授業で幻灯機(今ではスライド投影と言う方が一般的?)を使う事もありました。今ではごく当たり前に使われていますが当時はまずありません。
その中で最も私が影響を受けたのがパウル・クレーの絵。沢野先生自身もパウル・クレーの信奉者だったようです。漆黒の中に浮かび上がる鮮や且つ幻想的な絵は一目で私を虜にしてしまいました。
元々絵は好きでしたから、「世の中にはこんな素晴らしい絵を描く人がいるんだ。」と感嘆し、ますます絵画が好きになって行きました。と同時に「パウル・クレーが世に認められたのは亡くなってから。生きている間は見向きもされず極貧の中で死んでいった。」という沢野先生の言葉も頭の中にしっかり焼き付き、「絵は好きでも食って行くには別の仕事に就かなきゃならない。」と小学2年生にして悟ってしまったのです。
進級し担任から離れても沢野先生とは仲良くさせて頂いていました。小学4年で名古屋に転校する事になりましたが、その時もお別れの挨拶は欠かしていません。

いきなり小学校へ出向いても先生は既に他校へ転任していました。でも対応して頂いた先生が、ご丁寧に今どこの学校に勤務しているか調べてくれて行き方まで教えてくれました。その足で赴任先の学校へ出かけ首尾よくお会いできました。十数年お会いしていなかったにも関わらず沢野先生は私の事をよく覚えていてくれました。私が忘れている事でも覚えていて教えてくれたり。初めてお会いした頃と変わらぬ柔和な表情で、十数年前と全く変わらない姿でした。痩せ型ロマンスグレー、鼻と口の間にはこれもロマンスグレーのちょび髭。

あれからまた50年。さすがにご存命ではないと思いますが、今の私が在るのは先生の影響がかなり大きくあります。
結局食って行けない絵や彫刻は趣味として。食う為にはエンジニアとして会社勤め。おかげさまで人並みに生活して来れました。
小学生の当時、我家が赤貧の中になかったら、もしかしたら美術の道に進んでいたかもしれませんが、これはこれで良かったのだろうと思います。そう今の私を決定付けたのは小学2年の時に沢野先生から聞いた「パウル・クレーが世に認められたのは亡くなってから。生きている間は見向きもされず極貧の中で死んでいった。」と言う言葉だったのだと思います。

ムムッ、地図遊びって面白い! 自分の生涯の旅でもあり得るんですね。


Post Script
暖かな光は燦々と我等の庭に降り注ぎ
若木はすくすくと伸び逞しく太る
新しい歌声の流れる庭に仲良しの
手をしっかりと握りしめ
優しいまごころは海を越えて匂う
ああ美しい庭よ 我等の庭よ

なんでこんな校歌覚えてるんでしょ? 転校先の小学校の校歌も中学校、高校、みんな忘れてしまったのに。

ガングリオン

暫く前から気になっていました。
右手中指第二関節の手の甲側に何か骨の突起の様な物が出来ているのを。
気になり押さえると微かに痛みを感じる程度で他には特に異常は見られません。普通に動かせますし。
でも拳を強く握ったりするとその部分が突っ張って違和感を感じます。
まさか骨肉腫? 気になって調べて見ましたが結局は医者の診察を受けるしかないようです。
しげしげと右手を見ていると左手に比べあちこち出っ張っている所があるように見え、もしかしてこれが多発性外骨腫か? なんて考えてしまいます。悪性骨腫瘍だといわゆる骨肉腫であり難治性なので大変です。まあ齢70まで生かして頂いたのでお迎えが近くなるのはかまわないのですが、経済的な面で周りに負担をかけるのは敵いません。
それで思い切って本日整形外科を受診してきました。
いろんな角度からX線撮影します。それを見ると骨は綺麗なもので該当部位の出っ張りは骨ではなさそうです。ここでまず一安心。ついで超音波エコー。どうやらこの異物の中身は液体のようだそうです。関節の直ぐ側だしガングリオンだと思われるとの事。
暫く経過観察してもし大きくなるようだったらまた来てください。との事で無事解放。
帰宅後かみさんに報告すると、「若い人でもよくあるよ。」全く気にも留めてなかったようです。こちらは「下手すると自己破産か?」なんて心配していたのに。
トイレで孤独を満喫しながらふと考えてみると、高額医療の限度額認定を受ければ月々○万円。あれ?なんとかやっていけるじゃん。
日本ってホント素晴らしい福祉国家ですねえ。