人の立場に立つ

学生時代の親友(敢えてそう呼ばせて頂きます。)のIには計り知れないほどの影響を受けました。彼と接するようになって世界観が変わったと言っても過言ではありません。そして「人に優しくあれ。」と教えられたのも彼からです。彼とめぐり合ってもう40年以上が過ぎているのですねえ。
卒業の年だったか、その彼がディール・カーネギーの【人を動かす】を読み甚く感動したそうで、よく人に薦めていました。
この本は人との接し方のテキストとして既に古典とも言える名著です。
私も彼に薦められるがまま読みましたが、既に彼の生活態度そのものが本の内容そのものであり、彼と接していれば読むまでもないのではないかと穿った見方をしていました。彼自身それに気付いていたのかどうか解かりませんが。
いや、自分自身の思想とピッタリの著述に出会った事でその思想が共振し、より大きな感動となったのかもしれません。
本の題自体は誤解を招きそうな傲慢とも思えるものですが、内容自体は人として生きていく上での基本姿勢を説いたものです。


その中で述べられていたもののひとつが「人の立場に立つ」です。
わざわざこの本で教わらなくても社会生活をしていれば否が応でも身に付いている筈のものです。
赤ちゃんですら隣で泣いている子を見れば一緒に泣き始めます。これは相手と同じ痛みを共有する第一歩だそうで、ここから相手への思い遣りを覚えてゆくのです。
とは言えやはり人間というのは不可解なもので、そんな心配りを備えている一方で集団の中では必ず多かれ少なかれイジメも起こります。
イジメに加担するかどうかは微妙な心のバランスの上で起こっているようです。しかしこれも振り子と同じで片側に振れ過ぎるとその反対の力が心の中で起こります。幼少期から周りの人と関わり合いながら普通の育ち方をしていれば健全なバランスが保たれる筈なのです。


最近、学校でのイジメと自殺がニューズに上っています。学校や教育委員会など大人の隠蔽体質も問題には違いありませんが、生徒達自身が健全な育ち方をしていないのではないかと心配しています。この生徒達の精神年齢は幼稚園児以下としか思えません。
大人になりきれない未熟な親が幼児虐待に走っています。表面に現れているのは極一部ですが、イジメを看過している子供達全ても、これら未熟な親の下でまともな精神に育っていないのではないでしょうか。


「いじめた側にも人権がある。」などと詭弁を弄している教育関係者、せっかくの機会を自ら放棄しているようにしか思えません。いじめた側の子供達、人の痛みを知る術を知らない謂わば精神的な欠陥を抱えた子供達を社会に適合させる為には痛い思いをして体得してもらうしかありません。
いじめた子供達の氏名などを公表し社会からの制裁を受けてもらうしか、歪んだ精神を矯正する事はできません。
体罰は必要ないと仰る方々もいらっしゃいますが、体罰、或いは心の痛みは絶対的に必要なものです。犬だって時として叩かなくては躾けられません。表面的な、心に届かない言葉しか知らない精神的欠陥を抱えた子供達には傷みを伴う躾けが必要です。そう、これらの子供達って犬と同じレベルなんですから。