贅沢

昨夕出先のかみさんからTEL。
明日の予定だった外食を今日にしたいと言う。
毎度の事ながらマイペースなやっちゃ。やはりS司はかみさんに似たに違いない。
5日土曜日の夕飯にふぐを食べに行く予定だった。S司は都合がつかないがT哉はOKなので三人で行くつもりだったが急遽T哉もキャンセル。また二人だけのお食事会になってしまった。
そしてかみさんも土曜日は都合が悪くなったとの事でいきなり今からって事になった。ああ、予約入れとかなくて良かった。
しかしなあ、まだ正月4日。正月料金取られるんじゃないかな? それに混んでるんじゃないかな? まるビ親爺は考える事がワンパターンなのである。
かみさんの帰宅を待ち出かける。ズタボロのカルちゃんで。擦り傷はコンパウンドで磨きあまり目立たなくなったが板金の凹みだけはどうしようも無い。お金をかけて修理に出す気もない。夜の走行では目立たないが、明るい駐車場ではまる解りである。「こいつ羞恥心って無いのかな?」
店に着くと駐車場はほぼ満杯。それにお正月とあってヘタクソな停め方の車が多い。なるほど、かみさんの選択は正解だった。これじゃあ当て逃げされる可能性も充分ある。近頃の熟年オヤジは下手な御仁に限ってデカイ車に乗っている。見栄を張らずに軽太郎にしておけば取り回しも楽だろうに。
中に入ると、約40分程の待ち時間だとか。私ゃ待つのが大嫌いだが、かみさんは全く厭わない。我家の力関係からすると当然待つ事になるのである。
退屈なので、「チョット行ってくる。」と言い残し外へ。この辺りは何も無い。テクテク歩いて結局一社まで行ってしまった。本屋に入り雑誌をパラパラと立読み。本屋に入る事自体が久しぶりである。最近は本も殆どNetでしか買ってないからなあ。
暫くするとかみさんからTEL。もう席に案内されたそうだ。時計を見るとまだ20分しか経っていない。意外に回転が早いんだな。注文しておいて貰い店へ戻る。夜だというのにさほど寒くない。小走りに歩いていると暑いくらいだ。
席につくと直ぐ料理が運ばれてきた。うん、グッドタイミング。そしてまた二人きりのお食事会である。最近は二人共(当然子供達である。)付き合ってくれんなあ。
次の料理を待っている間にかみさんが言う。「日本っていつ頃からこんな贅沢になったんだろね。私が子供の頃はこんな事出来なかった。近所の人達もそんな人いなかった。」
平成不況、史上最大かつ最長の不況と言われても贅沢を止める人はいない。そのくせマインドだけは暗く冷え込んでいる。子供の頃はこんな贅沢をすることは無く、そんな世界がある事さえも知らなかった。それでも世の中自体がこんなに暗くはなかった。もっと将来への夢や希望に溢れていたように思う。
不況と言いながらも贅沢な生活に慣れ親しみ、それをあたりまえと思い込み疑う事すら知らない。
まわりを見回しても家族連ればかり、爺さん婆さんの費用負担、中高年のお父さんお母さんの費用負担であろう事は容易に推測がつく。若い人達の多くが定職に就けない状況でも、年金生活者や高額所得者には大きな可処分額があるのである。かく言う私はキリギリスであって後先考えずに無駄遣いしているだけであるが。
戦後の復興を支えてきたお父さんお母さん達ではあるが、次代の若い人達の現状や負担を考えるとアンバランスの感は否めない。
「年金っていつ頃の人から貰ってるんだろね。」また難しい質問である。そんな事わしゃ知らん。それにいつから貰えるのかも解らん。まるで逃げ水(蜃気楼の一種)のようなもので、行けども行けども需給年齢が引上げられるのである。しかし私の場合はまだ良い、その内には貰えるようになるだろうし。そして破綻する前にはあちらの世界に呼ばれている事だろうし。
高い貯蓄率を誇るこの国、貯蓄率が高いのは将来への不安が多すぎる事の裏返しなのでは? 当然我家は平均貯蓄額なんて足元にも達していない。しかし昔の質素な生活に戻る事への躊躇は無い。贅沢さえしなければ食べて行くだけなら充分可能だと思う。現にこの贅沢な料理にしても心底旨いとは感じられないのである。若い頃は何を食っても本当に旨かった。年と共に食への渇望が失せてしまったのかもしれない。それなら尚のことどんな粗食にも耐えられる。
たとえ偶に贅沢をしても、その度にその贅沢を一切断ち切る事が出来るかどうか、常に念頭に置きながらあじわってみたいと思う。


そして今朝、何の疑いもなく目覚める。
昔は「ああ、生きていて良かった。」などと新鮮な歓びを感じたものである。そう忘れていたがふぐには毒があったのである。テトロドトキシンだったっけ。もっとも今では肝を食べさせてくれる所もなく、当る事は全くない。
ああ、もう一度ポン酢に肝を溶いたのでふぐさしを食べてみたいなあ。