鬼の居ぬ間に

今日はかみさんのお出かけ。私はお留守番。
鬼の居ぬ間に命の洗濯。洗濯物を干した後はダイソンがけ。いえね、かみさんはnetで見かけたらしく、掃除機をかけると床が傷付くから掃除はクイックルワイパーを使えと言うのです。それもウエットシートでなくドライシートで。ウエットでなきゃゴミなんて取れませんよねえ。ドライでは箒みたいにゴミを掃き寄せるだけ。そう言っても頑なにnet情報に固執しています。第一ダイソンの床ノズルの回転ローラーにはフェルトが貼ってありますから床に傷が付くなんてありえません。
もし細かな傷が付いたとしてもワックスがけすればまたピッカピカになります。そう言ってもどうせ言い出したら聞かない事はわかっているので、触らぬ神に祟り無しという事で口に出す事も控えています。ただ今日のようにかみさんがいない時にこっそりとダイソンがけ。あ〜綺麗になった。
このダイソン、買ってから何年になるのかな? 最近バッテリーがヘタってきてまして直ぐにバッテリー切れになってしまいます。特にON/OFFを繰り返すと直ぐに動かなくなるのでONのままで使っています。
社外品で格安品がある事は調べてありますが、かみさんはダイソンはもう使わないものと思っているのでバッテリーは買わなくて良いと言ってます。それで発注は保留中。
かみさんがダイソンを嫌っているのは床が傷付くと言うだけでは無いようです。最も大きな理由はゴミ捨てなんですね。ゴミをビンから棄てる時にはどんなに気を付けても埃が立ちます。あれが嫌なようです。ハンディータイプで根強い人気のあるマキタは紙パック式です。紙パックでも多少は埃が付きますが、ダイソンとは雲泥の差です。
筋力の無いかみさんがダイソンがけする事はありませんが、たとえ健康でも女性にはかなり重いです。サイクロン式と言われる遠心分離タイプは仕事率が通常の掃除機に比べ1/3しかありませんから吸引力でメリットなんて全く無いのですね。フィルター詰まりが無いから吸引力が落ちない、変わらないなんて言ってますが、今の紙パックフィルターは殆ど目詰まりしません。
流行りで試しに買ってみたものの使って初めてその実力は評価出来るもの。正直言って失敗でした。それでも2階で眠っているキャニスタータイプよりは利便性は良いので、こんなもんかな? マキタをもう一台買うまでも無いので、こうやってかみさんがいない時にダイソンを使い続けます。

お掃除が一段落ついたら久しぶりの洗車。雪道は直ぐに汚れます。おまけに下回りに融雪剤がタップリ付いてますから車を長持ちさせる為にも洗い流しておかなければ。ふ〜、Auちゃんピッカピカ。
洗車の後はディスクの錆落としに軽くひとっ走り兼お買い物。
近所のドラッグストアで託かっていたJOI(台所洗剤)を買った後は駐車場と車庫の周りの掃き掃除。何処から来るんですかね〜、この枯葉。あっ家の庭か。それらをペール缶で燃やしていたら、早々とかみさんのご帰還。えっ、もう帰って来たの? もっとゆっくりして来れば良かったのに。命の洗濯もここまで。

大草原の小さな家

最近NHKで再放送されているようですね。
録画したものをかみさんが毎日観ています。その為、リビングのTVの正面(座椅子にもたれながらお炬燵でぬくぬく出来る特等席)が取り合いになっています。
何の気なしに観ていますが、いつの間にやらインガルス家の面々も成長し作者であるローラも結婚して学校の先生をやっています。幼い頃から出演し続け演者の成長と共に登場人物も成長して行く・・・。なんだか倉本聰の【北の国から】のような感じです。
私の記憶にあるのは未だローラも幼かった頃。お姉さんと幼女であった末っ子の妹との三姉妹だけだった頃です。今はお姉さんもローラも結婚し家を出ており、末っ子だった妹の他にもう一人妹が生まれその他に養子3人で合わせて5人の子供達と夫婦の7人が小さな家に暮らしています。元々がローラの自伝的私小説ですから小さな頃から大人になりまた時を重ねて行くストーリーになって当然でしょう。
しかし児童小説だったと思っていたのですが、結構ストーリー自体は厳しい内容のものがあります。それだけ当時の人達の生活は過酷なものだったのでしょう。自然を相手に暮らすと言うのは今のように文明の利器の無い時代はそれほどに過酷だったのだと思います。だからこそそこに暮らす人達(子供達も)は逞しくなっていったのだと思います。今の子供達に観せるには躊躇するものが多くあります。いや観せた方が良いのかなあ?
私の記憶にあるのは、まだかみさんと一緒になる前だったから30才前だったと思います。
当時は毎週火曜日はBさん宅のアトリエで彫塑仲間全員が製作に励んでいた頃。Bさんは結婚しておりその子供達がまだ幼かった頃です。
Bさん宅は子供達との生活もアトリエ内で賄う事が多くいわばアトリエがリビングを兼ねていたようです。柱に差し込まれた横木が梯子となりロフトに上がる事ができます。ロフトの下が床より一段高くなっておりそこが居間の役割も兼ねていました。小さい子供達にはロフトは秘密基地のようなものだったのかもしれません。
我々が製作に打ち込んでいる時に子供達と奥さんはよくTVを観ていました。それが【大草原の小さな家】だったのです。そんな状況で目にしていただけなので内容はあまり覚えていませんが、今再放送されているものよりもっと平和な子供向けの内容だったように思います。いやこれはローラの成長に合わせストーリーの視点も成長しているのかな? だとしたらそれはそれで斬新なそして面白いシナリオだと思います。
原題【Little House on the Prairie】プレーリーは北米大陸中部に広がる大平原を指し、地球上他の地域では使わない言葉です。(高校の地理ではグレートプレーリーと呼んでいたように思います。)南米ならパンパでこれもこの地域のみに使われる言葉です。
ですから大草原と言うのはちょっと意味が違ってくるように思います。【プレーリーの中の小さな家】では「なんのこっちゃ?」ってなっちゃいますね。じゃあせめて【大原の小さな家】の方が良かったのでは? プレーリーは大平原とよく訳されていますから。

Seceda

行ってみたいと思いながら行けなかった所に五色ヶ原があります。
最初に知ったのは山渓のアルパインガイド立山・劔に掲載されていた写真です。だだっ広い草原がわりとなだらかな確度で片側にせり上がりその端は崖となり切れ落ちています。

あまり見慣れない景色であり、それが立山薬師岳の稜線上にあると言う事でなぜか私の心をざわつかせたのです。立山から入っても太郎から入ってもかなり距離があり途中で一泊は必要になります。おまけに北アとしてはかなりアップダウンが激しくなかなか踏み切れずそのままになってしまいました。当時は最も山に熱中していた頃で、一度の山行であれもこれも織り交ぜたいという欲が強くどうしても登攀が主体となっていました。
そんな状況でも雲ノ平へは足を踏み入れています。これは偶々北鎌へ行った時、独標辺りだったか何かの拍子に西鎌尾根方面に目を遣った時に見えたたおやかな景色につい感動してしまったからです。手前右側に見える硫黄尾根の赤茶けた山容とは全く異なるなだらかな緑に染まった稜線。これが雲ノ平だったのかは定かではありませんが、その時の私の頭の中では「あれが噂に聞く雲ノ平に違いない。」と。「自分が今居る場所と違いなんて安らかな所なんだろう。」と。
いずれも【天空の別天地】なぞと呼ばれており、その一つは足を踏み入れていますがもう一つは行かずじまい。今となってはたぶんこの先も行く事はないでしょう。
五色ヶ原が何故私を魅了したのか? それはやはりあの独特の地形でしょう。
その後それにも増して私を虜にした景色があります。それがタイトルに挙げたSecedaです。
当時は毎月購読していた【山渓】の他に【岩と雪】も購読していました。こちらは月刊でなく隔月刊だったのかな?
皆さん略して【いわゆき】と呼んでいました。結構先鋭的な登攀記録や海外の照会なども掲載されていました。当時は【Big Wall】なんて言葉がはやりヨセミテの記事も多くありました。エルキャピタンが初登攀されてからスピードクライミングに移行しつつあった頃ですね。
また遥か地球の反対側、パタゴニアのフィッツロイやセロトーレなどもありました。ヨーロッパアルプスも例外でなくシャモニー針峰群やダン・ディ・ジュアンそれにグラン・ドリュ、プチ・ドリュなども。
そんな中で目にした写真、それがSecedaの写真です。

緑の草原が五色ヶ原よりもっと急にせり上がっています。そしてその端は急峻に切れ落ちハングすらしています。その下方では崩れ落ちた岩屑がすり鉢状に斜面を形作っています。
どうもこういった景色が私を魅了しているようです。

今の世の中Youtubeで高品位な動画が数多く公開されています。
わざわざイタリアまで出かけなくても充分楽しめます。本当に良い時代です。

松の内

私は関西生まれの為、松の内は15日までと思っていましたが、かみさんに合わせ我家の松の内は7日まで。
外したしめ飾りは本日白鳥神社へ。どんど焼き用所定の場所に納めて来ました。当然お詣りも忘れずに。本年2回目ですね。
その後は三人揃って三好池へ。正月肥り解消の為のウォーキングですが1時間くらいでは貯まった脂肪は消える事はありません。それでも池を一週すると身体も暖まり気持ちも良くなります。
帰宅後は私一人でコーナンへ。はい、先回の御在所通勤でぶっちぎれたスパッツのゴムの代用品作成の為です。
昔の山屋は幅2cmほど長さ20cm程に切ったタイヤチューブに適当な位置にパンチで穴あけした物を常時携行していました。ゴム留めが切れたらこれで代用するんですね。
私も常時持ち歩いていたのですが、ザックを新調した時に入れ忘れていたようです。帰宅後探したのですが見つからず。それで本日コーナンでゴムテープを買って来た訳です。
そしてパンチングしようとしたら鳩目パンチが見つかりません。事務用パンチで代用、5本ほど作りスパッツに合わせるとバッチリ。これでいつ切れても暫くは大丈夫。
無精者のtanuoさんにしては、今日はいやにまめなtanuoさんでした。
そうそう昔はシュリンゲなどもザックにいっぱい付けて歩いていたものです。一見だらし無く見えますが、これが通の間では粋だったんですね。必要になった時にすぐシュリンゲ使えますし。
シュリンゲでは無いのですが極細の細引きを2本ほどぶら下げておきました。おお、カッチョいい!

熱田さん

本日はS司を伴って熱田さんへ。まあ初詣第2ラウンドってところです。
9時過ぎに家を出て小一時間、新瑞経由で伝馬町から。一号線の信号を神宮前駅方面に曲がった途端左車線は数珠繋ぎ。明らかに駐車待ちの車列です。
そのまま右側を通り過ぎ北周りで西門駐車場へ。こちらも伏見通りに合流する前から既に並んでいますが、大人しく最後尾へ。周りのコインパーキングも全て満車の表示なのでこのまま待つしかありません。
こうなったらかみさんとS司だけお詣りに行かせ私だけ駐車待ちの為車に残る事に。まあ間に合えば私もお詣り、間に合わなければこのまま帰る事に。
暫く微速前進が続きましたがかみさんから電話。待ち行列はまだかなり続いています。そして目の前にはもうS司の姿。
それじゃあもう帰ろうかね。
てな訳で私だけ熱田さんのお詣りはパス。
熱田さん初詣ならもっと早く家を出ないといけませんね。

お正月はYouTube

一日に孫達が帰った後は私の天下。炬燵に籠もり座椅子にもたれ正面の49inchTVでYouTube
最近は好い動画がアップされてますね。暖か炬燵に籠もりながらヨーロッパアルプスの大展望を楽しんでいます。大画面で観る大景観は大迫力です。おまけに4Kのレゾリューション、画面という窓から本物を観ているような錯覚を覚えます。
モンブランシャモニー針峰群、ツェルマット及びマッターホルン周辺、ベルナーオーバーラント一帯、ドロミテの奇岩群をめぐるハイキングやそれらの中を滑降するスキーetc.etc.
中でもラウターブルンネンの動画が多いのに驚かれされました。

遥か昔、TVで日曜夜7時半からカルピス名作劇場で【アルプスの少女ハイジ】が放送されていました。そのイントロ部分でハイジが大きなブランコを漕いでおりその眼下に広がる大きなU字谷を憶えている方もいらっしゃるかと思います。
両側を大きな断崖絶壁に囲まれた谷底にはなだらかな草原、その中に瀟洒な民家が真ん中の川に沿って建ち並んでいる。
崖の上はまたなだらかな草原となり雄大な山頂へと繋がっている。丁度その谷だけ周りと隔絶されているような景観に、まるでおとぎの国、ヨーロッパアルプスにはこんな所もあるのかな? なんて思っていたものです。
その暫く後、ベルナーオーバーラント三山の観光案内ポスターでこの谷と全く同じような景色を見たのです。たぶんメンリッヘンの山頂辺りからラウターブルンネンを俯瞰したものだと思われます。その時思ったのは、「 本当にあったんだ〜。」
時は流れ数年前の事ですがGoogle Earthに嵌っていた事があります。その時もこの辺りの景観を楽しんではいましたが、所詮は平面写真に高度情報を加え擬似的に描いた景色でしかありません。そんなものではなく実際に訪れた人が実際に撮影した景色が今ではYoutubeでよりどりみどり。全く好い時代になったものです。
このラウターブルンネン、ラウターは英語のLoud(うるさい)、ブルンネンは英語のFountain(泉)で両側の絶壁から落ちる滝が多い事から来ています。

初詣

本年も恒例の初詣。
地元氏神様の白鳥神社へ。
お昼前でも行列は十数m。これくらいなら並んでも待ち時間は5分ほど。風も無く穏やかな日射しを浴びながら順番待ち。
家から歩いて来たので少し汗ばんでしまいました。上着の前を開けベンチレーション。あ~涼しくて良い気持ち。

本年も好い年でありますように。