もうすぐお正月

毎年お正月になると流れていたTVコマーシャル。
「お正月を写そう。綺麗な写真を写そう。富士カラーで写そ。」
ご存知、富士フィルムの宣伝である。
あっ、こんなのも有ったなあ、「お節に飽きたらカレーもね。ハウスククレカレー。」
たしかキャンディーズが歌っていた。
毎年毎年同じTVコマーシャルが繰返し流れていた。
正月以外では富士フィルムのTVコマーシャルでこんなのもあった。
「Have a nice day yei yei yei yei Oh〜 Oh〜 Oh〜 Fujicolor、手軽に写せるおぬしのハート、手軽に写せる拙者のハート…」。吉田拓郎が歌っていたような。
コマーシャルソングには馴染み深いが、私自身は富士カラーとはあまり縁が無かった。当時写真をやっている連中は専らモノクロばかりだった。丁度オリカラーが個人用のカラー写真キットを販売し始めた頃ではあるが、貧乏学生には高嶺の花であった。
学校のイベントではカラーで撮るのが一般的になっていたが、現像、プリントともに自前では出来ずラボに出すしかなかった。プリント代も高く大伸ばしなぞとてもできるものではなく、単に記念のスナップを撮るだけである。その人任せのDPEを普通の人達は富士フィルムを使い富士の系列のラボに出すのであるが、一部の【通】は皆コダックのフィルムを使いコダックのラボに出していた。
フィルム代は若干高かったが、プリントの値段は同じで発色の違いは一目瞭然、それほどまでに富士の技術はコダックの足元にも及ばなかったのである。
カラーに限らず、当時の富士フィルムの最高感度のモノクロフィルムはネオパンSSS、ASA200である。対してコダックにはトライX(ASA400)があり薄暗い体育館の中などでは必ずこれを使っていた。モノクロフィルムでも富士フィルムコダックに追い着く事ができなかったのである。
しかしながら趣味として楽しむのはモノクロで、フィルム、現像液、定着液、印画紙などの消耗品はすべて富士フィルムのお世話になっていた。(昔は【富士写真フィルム】といっていたように思う。)
停止用の酢酸は薬局で買っていたかな?
暗室の中はロマンチックである。赤く暗い安全灯の明かりの中に浮かぶ顔は七難隠され、どんなブスでも絶世の美女に見えてしまう。雪洞の中でキャンドルの明かりに揺らめくかみさんの顔同様、世の男どもをたぶらかす妖艶な力を持っている。
銀塩写真は化学反応により作られるものである。反応速度は温度に依存する。基準となる液温は20℃と規定されている。冬は現像液の入ったバットを乾燥機(水洗い後の印画紙を乾燥させるヒーター)の上に置き常に温度計と睨めっこ。高くなり過ぎたらヒーターを切る。
夏はゴム風船に氷水を入れそれをバットの中に入れたり出したりして液温調整する。薄くて丈夫なゴム製品と言うと避妊に使うアレしかない。一度どれくらい膨らむか試した事がある。直径30cm以上は軽く膨らみ馬にも使えるのではないかという意見もあった。(また脱線、下ネタが好きなおっさんである。)
焼付けの時に部分的に光を遮りその部分を明るくしたり、枠でその形を白く飛ばしたり、高感度フィルムをわざとアンバーに撮影し増感現像で尚のこと粒子を荒らす粗粒子写真、等等色々な遊びを楽しんだものである。
小さな成果を得る為に暗い所で大変な労力をかけていた訳だが、その頃の方がずっと楽しかったように思える。


時代は変わり今やデジタル全盛期。自慢じゃないがデジカメになってからプリントした事なんて一度も無い。写真用上質紙に家のプリンターで出力したことはあるが。いや毎年の年賀状もこの方法だったか。
通常はPCの画面で観るだけである。大版の紙に出す人には画素数の多さが重要だろうが、私のようにPCでしか見ない者には無用の長物である。原画サイズで見ようとしても画面からはみ出してしまい一目では見えない。
そして後処理、補正が著しく容易になった。デジタルデータの加工は良いソフトウェアさえあればいとも簡単である。「あの気の遠くなるような暗室作業は一体何だったんだろう。」と思えるほどの容易さである。
最近のデジカメはRawデータでの記録も可能になってきた。Raw Fish(刺身)のRaw(生)、デジカメ内で画像処理を行わず、センサーからの生データそのものを記録する方法である。
一般的にデジカメはJPEG(Joint Photographic Experts Group)の規格で定められた方法でデータを圧縮し記録している。最近音楽等でMPEGがよく使われるようになってきたが、本来これは動画の圧縮の為の規格である。
Moving Picture Expert Group の略であるが、規格の取り決めが始まったころは【Motion Picture Expert Group】と呼ばれていたように思う。20年以上前の【日経エレ誌】からの記憶なので定かではないが。
要はデジカメが世に出始めた頃はメモリ単価が高く、Rawデータを扱うにはコストが高くなりすぎ実用的ではなかったのである。実用性を採る為圧縮して記憶するようにしたが、JPEGは高い圧縮率を持っているかわりに非可逆的で一度圧縮してしまうと元には戻せないのである。
プロの人達にとってこれは救いようの無い致命傷で、いくら映像エンジンの高機能化を図ってもどうにもならないデジカメの宿命と諦められていたものである。
ところがメモリにはムーアの法則半導体の集積度は1年半で2倍になる。)ってのがあり、時の流れと共に集積度が上がり、価格はチップ面積でほぼ決まるのでどんどん廉くなってゆく。デジカメ用のメモリも今や4GB、8GBのものが製品化されている。
時代の流れとともにより再現性を求めRawデータを扱えるデジカメが出現してきたのである。
Rawデータからは昔の増感現像よろしく黒く潰れてしまうものも白く飛んでしまうものもある程度救う事が可能である。Raw現像ソフトなどと銘打って販売されている。
JPEGの写真でさえもトーンカーブを変えたりと割と自在に作業が出来たのに、従来なら潰れてしまっているものまで救えるなんて凄いですね。それなりに複雑化して操作は大変でしょうが、失敗してもやり直せるっていうのはデジタル処理のおかげです。暗室作業では労多くして成果はほんのチョッピリ。フィルムの増感現像などヤマカンに頼らざるを得ない所が多く、失敗したら一巻の終わり。
写真の世界もデジタル化で根底からひっくり返されてしまった感がある。【誰でもが容易に同じ品質で。】この言葉通りになる事を追求し続ける事が、いつの世にも通じる唯一の法則のような気がする。


蛇足ながら、昔写真は一部の技師が専門に行っていた。今でも大版カメラで使用されている乾板写真である。その技師のひとりコダックさんが誰でもが容易に写す事が出来ないものか?と考案したのが写真フィルムとそれ用のカメラである。
この発明により家庭でも容易に写真撮影ができるようになりその市場が爆発的に広がった。そのコダックさんが興した会社が今のコダックである。
【誰でもが容易に】やはりこの言葉が世の中を発展させ市場を創生成長させるキーワードのような気がする。そしてそれが【世の為、人の為】に繋がって行くのだろうなあ。