ミュージック

今日も雨。かみさんから仰せつかった所用で出かけました。所用と言っても、近所のクリーニング屋さんに【雨の日チケット】を貰いにです。割引券なんですが、雨が上がっちゃうと貰えなくなるかと思い営業時刻も確かめないままでかけまして、結果無駄足。まだ営業していませんでした。何かにつけて要領の悪いtanuoさんです。
その時カーラジオからある曲が流れていました。【トイレの神様】って言ってましたっけ。別にさほど綺麗なメロディーでもなく、歌詞も洗練されている訳でもありませんがなにげなく聴いていてついめがしらがジーン。
未だに【お婆ちゃんっ子】を引き摺っている自分に気付きました。亡くなってもう何十年と経っても幼少期からずっと育てられてきた私には、いつになっても母親であり父親であり続けていたのです。
最近は音楽とはほど遠い生活をしています。唯一ラジオを聴く機会も週末に車に乗る時だけです。
そんな状態なので、偶にYou tubeで音楽を聴くのは音への渇望の現れかもしれません。「古い曲を聴くのはボケの始まりだ。」などとかみさんから脅かされるものですから、You tubeもセーブしながら聴いているのが実情です。
そして昨日、芹洋子さんの山の歌を聴いていて気付いた事。最近は山へ行っても頭の中で曲が聴こえる事が全く無くなっていました。
現役の頃など、特に単独の時などは何故かいつも頭の中で音楽が流れていました。狂気の前ぶれだと仰る方もいらっしゃいますが、幸い精神の錯乱を来たす事もなく過ごしてきましたのでそれは当っていないと思います。
なかでもよく経験したのは【モルダウ】。所蔵のレコード盤はノイマンチェコフィルのものです。
買ったのが私が社会人になってからの事ですから、【プラハの春】がソ連の軍事介入で押さえ込まれ民主化への希望など全く見出せない時代での収録です。そんな時代でも西側諸国へ音楽の配信が続いており、その関係者の心情を察するに気が重くなったものです。なんだか杜甫の「国破山河在」の心境だったのかな?なんて思ったりしていました。
モルダウに限らず手元に置いておきいつでも好きな時に聴きたい曲がたくさんあります。
一年ほど前、アナログレコード盤からデジタルに変換してCDに書き込めるプレーヤーをネット販売で見つけていました。ここにきてそれがまた俄然欲しくなってきたところです。
コンデジのCX3も3万円を割るのはもうじき。う〜ん、欲しい物がいっぱいあって困っちゃいます。お金が無いのが悩みの種。4月にはAuの車検も控えているし…。まあ車検費用は家計からなので問題ありませんが。(かみさんへの車検の見積もりを水増しして差額で買っちゃおうかな?)


余談ですが、日本ではチェコと呼んでいますが海外では【シェック】と呼ぶ方が一般的です。Cの発音は【チ】と【シ】が共用されています。THも【ス】【ズ】【ツ】と共用されていますね。
以前、納めた機械の不具合で相手先に出向いた時、取引先の担当者から「明日はシェックへ行く。」と言われました。「シェックってどこだ。」と聞いても要領を得ません。地図を見せてもらいやっと解かりました。チェコの事だったのです。ドレスデンから30kmほど走ればチェコとの国境です。その時は既に東西ドイツ統合後でしたが、壁が存在していた頃でも東西は遠くても同じ陣営内は地続きでもあり日本人が思うより意識の上でずっと近いものだったようです。
そしてこの担当者、お名前がステファン・ゴッシェルクさん。しかし私の耳にはゴシェックさんと聞こえます。
そして工場内の工員さんはMr.ゴチェックと呼んでいました。名詞のスペルはやはりTH。日本人には難しい発音です。
この工員さん、2mを越える大男ですが人懐っこく、毎朝顔を合わす度に「モーニング」と声をかけてくれます。
仲間内では「グーテン モルゲン」なのでしょうが、我々に合わせ英語で話しかけてきます。おまけにGoodも省略する事が多いようです。いかに近い言葉とは言え、学校で英語教育を受けた若い人達はどんな人でも普通に英語が話せます。どこかのお国とはえらい違いですね。
かつての東独時代では、工員達は外部の人達とは完全に隔離された状態でした。通路で顔を合わせても上目使いになにか怪訝な顔つきで見るのが普通でした。民主化とはこうも人の心までも明るくするものかと感心したものです。
民主化された後のチェコフィル、以前との違いなどあったとしてもそれが解かるほどの鑑賞力は私にはありません。それでも自由な社会でのびのびと演奏されているであろう事にチョッピリ幸せな気持ちになっているtanuoさんです。