よしなしごと

加藤和彦氏の死からフォークルが懐かしく思い出され、暫くYou tubeを楽しんでいました。
そこでフォークルをカバーしている本田路津子さんに行き当たりました。当時はフォークの女王こと森山良子さんと人気を二分されていましたが、この業界は血筋がものを言うようで血統書付きの森山さんの方がいつも表に出てしまい、本田さんはその影に隠れていました。しかし今こうやって聴いてみると歌唱力は本田さんの方が上のように感じます。いえ、森山さんを貶している訳ではありません。森山さんも実力のある方である事に異論を唱える気はありません。しかし血統書の無い雑種だからこそ人一倍努力したであろうその成果が本田さんの歌唱力に現れているように感じます。
You tubeは該当曲に関連付けられた曲が画面右側に表示されます。ついついそこに表示されているものから興味深いものを選びまたそこから次の曲へとキリがありません。
本田路津子>森山良子>森山加代子と飛んでゆくと、いつしか私の小学校時代へとワープしていました。
その頃は60年代アメリカンポップスの全盛期で多くの日本の歌手が日本語でそれらをカバーしていました。そのカバー曲からアメリカンポップスへ飛び、ニール・セダカポール・アンカを懐かしく聴いていました。同時代にコニー・フランシスもいます。彼女の曲も殆どが日本語でカバーされています。えっ、この曲も? ええ〜、これもそうだったの?ヒット曲の余りの多さに驚きを禁じえません。こうしてみると芸能通ではないのですが、結構アメリカンポップスが記憶に残っています。日本の曲より底抜けに明るいアメリカンなものに憧れていたのかもしれません。
お婆ちゃん子の私の周りでは美空ひばりの歌ばかりで(お婆ちゃんの趣味です。)それに辟易していた所為かもしれません。
日本の曲はマイナーなものばかりで、貧しい生活をより一層暗くするようでどうも好きにはなれませんでした。それに引き換えメジャーなアメリカンポップスは心の底から明るい世界に導いてくれるようで憧れの的でした。
バケーション、ボーイハント、カラーに口紅、可愛いベイビー、大人になりたい、等々皆コニーフランシスだったんですね。
中学時代に流行っていたシルビー・バルタンでもアイドルを探せ、あなたのとりこ、の二曲くらい、フランス・ギャルなんてシャンソン人形の一曲しか記憶にありません。コニー・フランシスって凄かったんですね。懐かしさにかまけ片っ端から聴いていました。
ビーエーシーエーティアオエン…。
アルファベットのV、日本語ではよく「ブイ」と言いますがこれでは通じません。ブとイと切っていうのではなくヴィーと伸ばすのです。まだビーの方が通じます。同様にR、日本語では「アール」と言いますが向こうの人が言うと「アー」と聞こえます。「ル」は殆ど聞こえません。音を出さずに舌だけ巻いています。
「大人になりたい」では、長い間「Too many blue.」と言っていると思っていました。憂鬱が多すぎるって事でしょうか。でも文字に記された題名を見ると「Too many rules」でした。規則が多すぎるって歌ってたのですね。私の耳って本当にいい加減です。難聴の気があるのかな。
今現在、子供の頃の貧しさからは想像もつかないほどの豊かな生活に慣れきってしまいました。懐かしい60年代のアメリカンポップスを聴きながら当時の生活に思いを馳せています。当時憧れていたアメリカンな生活は手に入ったものの、当時皆が想い描いていた将来への夢や希望が本当に手に入れられたのか? と言うと素直にYesと言えない現実。どこでどうボタンを掛け違えてしまったのでしょうか。