低体温症

北海道大雪山系では大変な事態になってしまったようです。
連れて行ってもらう事がなかば常識化している人達には大きな警鐘となった事と思いますが、それでも大半の人達はなお他人事としか感じていないのではないかと危惧しています。
受身でいる限りどんなに多くの山へ行ったとしても全く実になっていません。昔の山岳会でもやはり受身体質の人は必ずいました。そんな人には単独行を勧めたりしていました。たとえ少ない回数、少ない経験でも自分ひとりで全て判断し全て決めるのと、何も考えずただ付いてゆくだけとでは得られるものは全く違います。それこそAll or nothing です。
自分自身で何事も判断できない人は山へなぞ行くべきではないとさえ私は思っています。排他的だといわれようがこの考えを曲げる気はありません。事故を起こせば必ず他人に迷惑をかけます。絶対に誰にも見つからない所でこっそりと亡くなってくれるのであれば問題ありませんが、この狭い日本、たとえ山奥でも必ず人が入っています。山中で遭難者を見つけたら素通りする訳には行きません。既に亡くなっているのなら下山後警察に届ける程度で済むでしょうが、まだ生きていたら本当に厄介です。予定を全てキャンセルし勤労奉仕に勤めるしかありません。そして地元の人々にも多大な迷惑をかけます。
事故を起こすという事は、全く以ってとんでもない事なのです。昔の人はそれを恥と思っていました。間違って事故を起こしてしまった人は周りに対し肩身の狭い思いをしていましたが、今は当事者自身まったくそんな気持ちは持ち合わせていないようでケロッとしています。これが良識のある中高年か?と疑いたくなるほどです。
人の死に立ち会うというのも気が重いものです。まして身近な者だとすると本当にいたましいものです。こういった人としてごく普通の感性に乏しい人が多くなったように感じています。
事故を起こしたら英雄にでもなったかのような態度、全く信じられません。
死者に鞭打つ訳ではありませんが、起こるべくして起こったような今回の遭難。いや今回に限らずこういった類いの遭難が多いですね。増えすぎた人口を減らすべくなにかしら大いなる力が働いているのかもしれません。
酷い言い方をしてしまいましたが低体温は自覚できます。氷点下の気温でなくとも常に強風に曝されているとよく起こる事です。若い頃なら全く問題が起こらなくても、高齢により代謝が悪くなっていると簡単に起こります。その気配を感じたら風が避けられる所を探しツェルトを被り中で火を焚く。暑いと感じるようになるまで焚き続けます。同時に暖かいものを飲む。白湯より少し甘いものが良いでしょう。これだけで充分回復するものです。
年と共に代謝が悪くなっていることを常に自覚していないといけません。これは老人の宿命です。私もよく自分自身の身体の衰えを感じる事があります。これは若い頃と比較できるおかげかもしれません。比較するものを持ち合わせていない方々は私達以上に注意を払わなければならないでしょう。
貴重な命を代償として私達に教訓を与えてくれた人達の為にも、それを無駄にしないようにしたいものです。