10月中旬

中旬を過ぎると、むせ返るような甘ったるい金木犀の香りも辺りから消え、落ち着いた秋の日々が続く。
今年の金木犀は一段と強烈だった。香りもさることながら花付きが尋常でなかった。それこそ木の半分くらいがオレンジ色に染まっていた。それも一週間ともたず木の下はオレンジの絨毯となりやがて色褪せ土と一体化して行った。
そして次は黄金色の蜜柑の季節である。
帰宅すると笊の上に収穫した蜜柑が山盛り。やっと黄色くなりかけで、まだまだ緑が濃いものばかりである。中には日に焼け茶色くなっているものもある。
柔らかそうなのを選び味見する。まだまだ酸っぱいものと思っていたが意外に甘い。木が若い頃は酸っぱいだけで味も薄く、市販のものとは比べものにならないものだった。それが一昨年、昨年くらいから結構味が濃くなってきた。マーケットで売ってもそれなりの商品となりうる程に旨くなってきた。
この家に移ってもう20年。蜜柑の木も20歳。柿の木もだんだん甘い実を結ぶようになってきた。肥料もなにも与えていないのに大したものである。これが本来の果樹の力なのかもしれない。消毒薬や肥料漬けの市販のものより多少味は落ちるがこれこそが本来の味なのかもしれない。当然無農薬。有機肥料は与えていないが樹木自身の生命力が育てたものである。
自然の恵みとは有難いものだ。
こういったものは実際に目で見て味わって現物の価値を知る事ができる。
実態の解からないものを債券という形にして、さも価値があるように見せ掛け値を付けていたものが、今は解からないが故に余計にその価値を信じる事が出来なくなっている。複雑な数式をもってその価値を表していた物を今は誰もが信じられなくなっている。見えないものを信じていた事自体が過ちだったように思える。金融は本来実体のある産業を養う為のものであった筈。産業自体が付加価値を産みそれを活性化させたり流通させたりする為の媒体であった筈。お金自体がお金を産む訳ではない。金利などというものは産業が産み出す付加価値の代償でしかない。
金融立国として数多のノーベル賞受賞者を輩出してきた米国自身、それが幻影であった事を露呈している。アイスランドも大変な事になっている。国家自体が破産しているのと同じだ。
今一度一次産業、二次産業、サービス業としての三次産業重視に立ち返る時のように思える。


あっ、明日の御在所?通勤はこの蜜柑を持って行こう。