OA音痴

今の世の中、猫も杓子も携帯電話を持っている。
そんな中にあって、私は未だに携帯電話を持っていない。当然使い方も知らない。
OA機器の部類に入るのかどうか解からないが、入るとしたら私はOA音痴という事になる。
家族全員が持っているのに私だけが持っていない、というか持たせてもらえないのである。
我家の携帯電話暦は意外に古い。最初に買ったのはノキアの初期モデルで、今のものと比べると怖ろしくデカイものだった。しかし手に馴染むジャストサイズで操作性も良かったと思う。(何でもかでも小さければ良いという考え方は間違っている。私のぶっとい指ではつい隣のキーまで押してしまう。)そしてキャリアーはDDIだった。KDDと合併してKDDIとなり、今ではauとなってしまった。diを付けたらaudiとなってしまうのも奇遇である。
当時かみさんは週日にスキーのバイト(実益よりも遊びが主)によく出かけており、あるとき大雪で予定より帰りが遅れ、翌日朝帰りしたことがあった。こんな時にせめて電話くらいできるようにと買い与えたのだった。
子供達に持たせたのは高校を卒業してから。管理も出来ない小さな子に持たせている親御さんもいらっしゃいますが、私の考えとしては、たとえ古いと言われようがこの方が良いと思っている。
家族揃って携帯の話題に花を咲かせたり、連絡しあったりしているのを横目で睨みながら、私だけ疎外感を感じている。
あんな小さな画面の小さな文字をみて、操作性の悪いキーをたたいてよくやってますなあ。メール?んなもんPC使えば良いじゃねーか。


今地下鉄に乗っている人を見ると4割ほどの人が携帯電話と睨めっこしている。後の4割ほどが本を読んでいる。残り2割が何もせずボ〜としているか舟を漕いでいる。私はその2割の中に入る。
「車内での携帯電話のご使用はご遠慮ください。」との案内放送なぞ全く無視である。喋ってなきゃ良いとでも思っているのだろうか。それともゲーム? ワンセグTV? 電波を出してなきゃ良いが、医療機器を携行している人にとっては生命の危機である。
とか言いながら私もかみさんに【帰るコール】するときもある。でも私のは会社から持たされているPHS。内線外線共用なので携帯電話代わりに使っているが、それとは比べものにならないほど空中線電力が小さいのである。医療機器に影響を与えるほどの電界強度は発生しないのである。
このPHSにも携帯電話同様の機能はあるが使おうとは思わない。面倒なのでマニュアルも見る気がしない。「メールはPCから。」OA音痴の頑固親爺にはこれ以外の選択肢は無い。第一フルキーボードの方が余程操作性が良いではないか。繋がらなきゃメッセージを入れとけば良い事だし。 …こんな事言ってるから、どんどん世の中から置いて行かれるのかな?


余談ですが私は電車の中で本を読む事も殆どない。余程寸暇を惜しんで目を通したいものが有るのなら別ですが。
人が読む本って、その人の一部を語っているように思う。電車の中で読んでいる本を人に見られるとなんだか心の中を覗かれているような気がする。それで厭なのである。神経質過ぎますかねえ。
読むといっても小説なぞあまり興味が湧かない。どちらかと言うと嫌いである。「しょうもない作り話など、他人の生活を覗き見するよりもっと重要なものがあるだろう。」と強迫観念に囚われたもうひとりの自分に叱責されるのである。
この性向は若い頃からずっと続いている。文学的なものより人文科学に属するものの比重が大きかったように思う。かといって全く小説を読んでない訳でもない。古典に近いものはある程度目を通している。今の読書離れの激しい若者達と比べればまあよく読んでいる方だと思う。
で、専ら地下鉄の中では舟を漕いでいる事が多い。年寄りは乗り物に乗るとすぐ眠くなるのである。