誕生祝い

○○才にもなってそうめでたい事でもないが、かみさんの誕生祝いって事で今日は外食。
会社の帰りにA駅でピックアップしてもらい出かける。予約が入れてあったようで直ぐ席に案内された。
かみさんが「ふぐが食べたい。」と言っていたので、今日は清水の舞台から転落死覚悟で来たのです。
若い頃は、淡白過ぎて値段に見合わないからと敬遠しがちだったが、この歳になりしつこい味より繊細な味を好むようになってしまった。
こういった味覚は若い内はなかなか解からないものである。
若い頃は身体が欲しているせいか、脂っこいもの味の濃いものを食べたがる。そしてじっくりと味わって食べるのではなく掻き込むように味わいもせず呑み込んでしまうのである。まるで犬の餌である。
そういえば若い頃はふぐを食べに行っても、旨いと感じるのは味の濃い肝か唐揚げくらいで、他は何もかもポン酢の味でしかなく旨いと思った事なぞ無かった。今では肝は本場の門司、博多くらいでしか食べる事ができない。(昔は名古屋でも食べる事ができた。)その代わり繊細な味が解かるようになったのは歳のせいだけでも無さそうだ。
今日のコースでは先付けにアンキモ、ふぐ皮、鱈の白子が出た。そうだよな、危険を冒してふぐ肝なぞ食べなくてもアンキモでも充分よく似た味じゃないか。
その後にふぐ刺しである。これでは繊細な味が感じられなくなってしまう。もっと順番を考えて貰いたかったな。
ふぐ刺しを味わいながら子供達の事を考える。T哉にはこの繊細さはまだ解からないだろう。あいつは典型的な犬型だ。味わいもせず呑み込むタイプである。腹さえ膨れれば良いようで、言わばアメリカ人タイプでもある。(アメリカ人は一般的に味音痴です。肉食人種はアミノ酸が足りているせいか蛋白質の旨みに対し鈍感です。)
S司の味覚センスは鋭敏だ。あいつは親である我々より鋭敏かもしれない。ちょっとした味の違いも見分けそれをよく口にする。聞いて初めて我々夫婦も気付くのである。幼い頃から食が細く、食べる量が人より少ないのに食べる時間は何倍もかかっていた。それだけ味わいながら食べていたのかもしれない。
そして二人の違いは…、第一子のT哉にはなにかに付けて手間ひまをかけた。離乳食もいろいろ工夫して作っていた。第二子のS司は殆ど手間をかけていない。離乳食なぞ一度も作った事が無い。大人の食べるものをかみさんが口の中で咀嚼しそれを食べさせていただけである。
離乳時に食べたものがその後の嗜好に凄く影響するようです。ワンパターンの離乳食を食べさせていると、その味だけを好むようになり他の物を受け付けなかったり、或いは慣れるまでに長い期間を要します。逆に離乳時にどんなものでも食べさせていると好き嫌いなく何でも食べるようになります。そしていろんな食べ物の味に鋭敏になるようです。
なんだ、子育てなんてあまり考え過ぎず適当に手を抜きながら育てた方が良かったって事じゃないか。
子育てに悩んでいる若いお母さん、あまり気にしないでもっと気楽に行きましょう。「放っておいても子は育つ。」ってよく言うじゃありませんか。


あれやこれやと手を変え品を変え出てきた最後はお決まりの雑炊。ふぐの味って本当に繊細だなあ。ふぐの味が解かる歳になったんだなあ。
一品づつは少量でもこれだけ出てくればすっかり満腹である。デザートの葛きりがまた上品な味。ああ俺もやっぱり日本人だったんだなあ。
これで諭吉さんひとりと英世さん数名。給料日はまだ遥か先。今月はちょっと厳しいかも。