もっと周りに甘えてよ

やりきれない気持ちに、あまり触れたくもなかったのですが…。
大阪の二児遺棄事件についての報道が続いています。
【「戻らないから死んだ」容疑認める】との見出しで、今日もNetのニューズで流れています。
刑事告発しなければならない側からすれば、【未必の故意】を証明する手立てとしてこのような証言を得ようとするのは当然の事なのでしょう。
以前の見出しでも「遊びたかった。」との証言が報道されていました。
経済的な支えもなく生活と子育てに追われていた年若いお母さんがそんな気持ちを抱いてもなんら不思議な事ではありません。生活が苦しければそこから逃げ出したいと思うのは当然の事です。
問題なのは子供達が外へ出られないようにした事。なぜそうしたのか、推測ですがこのお母さんの頭の中には「他人に頼る。」という事が考えられなかったのではないでしょうか。
この年齢の子供って本当に可愛い盛りです。それにも増してひとりきりで育て続けると言う事は尋常でない負担だったのでしょう。
夫婦がそろっており経済的に不安がない家庭でも、子育てというものは若いお母さんにとって悩み多いものです。
どんな事件でもその裏には根深いものがあるのでしょうが、この事件って国家の存亡にも関わるものを暗示しているように思います。子供手当てのようなバラマキをしてもなんら解決にはなりません。子供というものは親の所有物だとか、子供を育てるのはその親の責任だとかいう考え方を改める時期に来ているように思います。子供は社会全体の共有物、社会全体で育てるものというように。
一足飛びにそんな社会になるのは無理にしても、地域社会、隣近所の人達がもっと他人の子供にも関わるようにしなければならないのでは?
長寿老人の所在不明が明るみに出て、その言い逃れにプライバシー云々が言われています。
そのプライバシーに立ち入らなかったが為に多くの子供達が虐待死しています。
プライバシーの尊重というより皆が安易な無関心、無視に走っているような気がします。
全ての人がもっとお節介にならなければならないように思います。
法整備による社会秩序の改変より、今自分達に何が出来るかを常に留意し続けていたいと思います。