定期健診

退院後職場の近くである親子を見かけた事があります。
二人の幼子を連れ自転車をこいでいるお母さんでした。
未だヨチヨチ歩きが出来るか出来ないかの男の子を負んぶし、3歳くらいのお兄ちゃんを後ろの子供乗せシートに乗せ苦しそうにフラフラとこいでいました。
粗末な服でまんまるに着膨れした子供達の鼻の下には乾いた鼻水のレールが2本。未だ若かろうそのお母さんの髪にはかなりの白髪が混じり、化粧っけの無い素顔は薄汚れ、いかにも生活に疲れきっているようでした。端正な顔つきは化粧すればずっと映えるであろうと想像するに難くない容貌であっただけに、尚更憐れさを感じさせるものでした。
まだ幼さの残るお母さんの容姿、そして子供達の年齢も我家とそっくりであり、つい家と重ね合わせていたのでした。
「あのまま俺が死んでいたら家もこうなっていたのだろう。」
なにか力になってあげたい気持ちはあっても不躾にそんな申し出ができる訳もない。そのまま通り過ぎてしまったのですが、ときどきふとこの親子の姿が思い浮かびます。
その度運良くこうやって生き永らえ、家族を養って行ける幸せに感謝しています。
子供達も成人しひとりだちして行きました。いや下の子がまだ学校へ通っていますが、それでも年齢はもうすぐ26歳。私がお役御免となってもひとりでなんとかするでしょう。
退院後のこの20数年間、言ってみればおまけの人生を生きさせてもらったようなもの。神様がいるかどうか解かりませんが、何かに、いや世の中全てに感謝の気持ちでいっぱいです。
還暦を迎える今年、これからは【おまけのおまけ】の人生です。生きる上でよく「プライドを持て。」などと仰る方がいらっしゃいますが、おまけの人生を与えていただいた私としては「変なプライドなんて不要。人様に必要とされる事が出来るならどんなに虐げられようと良いではないか。」と思ってしまいます。


今日、その命の恩人に会いに行ってきました。相変わらず元気に激務をこなされています。金銭欲や名誉欲といった世俗的な事よりも「ひとりでも多くの患者さん達のお役に立ちたい。」これがこの先生の信条のようです。
定期健診を兼ねて年二回、K先生と二言三言、言葉を交わす事が私の心のリハビリになっているようです。


次回は11月16日。ちょっと間が空きます。忙しいのかな? 忘れないようカレンダーに書込んでおきましょ。
そして午後は眼底検査。こちらも失明もせずに済みました。運が良いのかそれともなにか大いなる力に護られているのか。
世の中全てに感謝。