久々の晴天土曜日

目覚ましの音で目覚める。
「あれ、お父居るの? なんで行かんの? 天気良いよ。」
「御在所はこの前の雨でエライ事になっとる。復旧工事の邪魔になってもいかんから止めといた。裏道が流されて藤内小屋も流されとる。日向小屋も小屋の下の地面が半分流されとる。」
「ええっ、本当に? 誰か亡くなったの? そんな雨いつ降ったの? ニュースでやってた?」
「人は死んどらん。先週初めの雨。こっちが酷かったのは先々週の末だからその後。藤内小屋もウィークデイは人が入っとらんから。土曜の夜だったら皆死んどったわ。 ニュースではやってなかったけどNetで情報が飛び交っとる。」
「お父も死なんで良かったね〜。 でも藤内小屋が流されるなんてどんな雨が降ったんだろ。」
「1時間に300mmとか500mmとか降ったらしい。下流で洪水なら解かるけどあんな上流でねえ。伏流し易い地質だから地盤が緩んでの土石流じゃないかな。」

裏道一帯はかみさんにとっても思い出深いところである。高校時代からの青春時代、毎週のように入り浸っていた所である。私のように最近の様子を知っている訳でなし、それこそ目を閉じれば30年前の情景が鮮やかに甦ってくるのである。
当然、蒼滝橋上流に大堰堤が出来ている事なぞ全く知らない。かみさんの記憶にあるのはそこにあった角材を束ねた橋だけなのである。それでその堰堤が土砂で埋まってしまったらしいと言う話はしなかった。しても何の事か解からんだろう。

一昨日御在所仲間のTさんから北谷の様子を写した写真を送って貰った。こういった貴重な情報を得られるって有難い事だ。何も知らずに出かけていたらそれこそ野次馬と成り下がってしまうところだった。今頃中高年野次馬諸氏が大挙して出かけているのだろうなあ。地元の人達の庭先を遊びの場として使わせて貰っている者としては、極力迷惑をかけないように心掛けていなければならない。ボランティアの要請でもないかぎり、近付くだけでも交通渋滞などの迷惑をかけるおそれがありご法度である。
被害の無かったところにしても湯ノ山街道経由、温泉街経由となる。車が増えれば渋滞して当然の所である。
また災害直後の事でもあり事故の発生する可能性も高い。復旧で大変な時に遭難騒ぎでまた迷惑をかける、なんて良識のある者のする事ではない。
こんな常識的な事でも無頓着な人は気付かないものらしい。単に山の登り方だけでなく、地元への配慮なども知らず知らず教えてくれていたのが昔の山岳会である。Netから欲しい情報だけをチョイスしている人達は、耳の痛い情報など聞く事もないのだろう。

Tさんから送って貰った写真では岳連の北谷小屋の長手方向延長線上に藤内小屋の赤い屋根が写っている。
Google Mapで災害前の航空写真を見てみると、その延長線上よりもずっと西側に藤内小屋がある。
北谷小屋は不動沢との出合より上流の不動沢左岸、河床より少し高い位置にある。北谷小屋が流された様子が無い事から、藤内小屋は地盤ごと北谷のど真ん中へ流されたようだ。地図で見る限りその土石流は、中道キレットの手前、尾根から北側に落ちているザレ場を源とする沢からの押し出しのように推測できる。流れてきているのは真っ白の花崗岩である。風化により褐色を帯びたものではなく、地中深く眠っていたであろう無垢の白肌そのものの色である。
20数年行かなかっただけで後尾根のテストストーンは無くなっていた。前尾根の滑り台もどこへいったか無くなっていた。上の方の幅広スラブも姿を消していた。
数千年、数百年単位で変化するものと思っていた山も実際はもっと早い周期で変化しているようだ。
毎日のように奥俣尾根からの崩落が続いていても、全く無頓着で藤内沢を歩いている肝っ玉の座った中高年もいらっしゃる。
この災害はあまりに無神経な人達への自然からの警告なのかもしれない。
それにしても小屋の人達にとっては惨い事です。親分が生きていたらお片付け応援ツアーなどを企画していたかもしれないが、今ではもうお声がかかることも無いだろうなあ。