蟹工船

今朝、K駅でカカバスから降りる時にかみさんに言われた。
「定期券、改札機に盗られていかんよ。」
「もうやらんわ。」
「S司でもそんな事やらんわ。」
暫くの間、何かにつけて言われそうだ。
しかし私ゃ、S司以下か。我ながらおバカな事をしたものである。
そのS司、だんだん私に似てきて顔が不細工になっていたそうだが、また元に戻り可愛くなってきたそうだ。
私の目には全く同じに見えるが、母親の目は無関心な父親の目と違い細かなところまで見えるようだ。
「あんな子でも一人暮らしの時は気が張っていたんだねえ。家から通うようになったらまた顔が優しくなった。」
男の子としてはフニャフニャよりピシッとしていた方が良いように思うのだが。


そのS司と同世代或いはそれより少し上の世代、はやりの言葉でいうならロストゼネレーションと言われている人達の間で、小林多喜二蟹工船が静かなブームとなっているらしい。
共産主義なぞ全く信奉していない私でも若い頃に読んだ事はある。たぶん捨ててはいないので倉庫のどこか、文庫本の箱の中にまだあると思う。
バブル後の長い経済低迷期に社会に出た人達の、巡り合わせの悪さには同情するが、なぜ蟹工船なのか合点が行かない。
小林多喜二の時代には共産主義が世の中をより良くしてくれる唯一のものと信じる人達がいたのは事実である。一方当時の勝組であった資本家とその経済力を頼みとしていた行政、司法、軍部にとっては相容れないものであったに違いない。しかし双方目指していたのは、より豊かな国民の生活だったのである。単にアプローチが違うだけだったのだ。とは言え末端では甘粕事件やら特高による拷問虐殺など過度の行為もあったが、その原因が集団ヒステリック(共産主義者達を尋常でない恐ろしいものと感じての暴走だった。)であったと言うのも哀しい事である。
要は皆が皆無知過ぎたのである。また公平な情報を広く浸透させるにも、その情報を理解出来るほど一般の人々の知的水準が低すぎて上手く行かない。それ故、双方が情報の秘匿に走ったというのが現実のようである。
その当時と比べ、現在は情報コストが極端に低くなっている。どんな情報もただ同然で入手できる世の中である。そしてその気にさえなれば何だって出来る。何にだってなれる。それほど社会的な障壁は小さくなっている。にもかかわらず、自らは何もしないで蟹工船の世界に紛れ込みそこで傷のなめ合いをしている。
EmploymentもEducationも拒み続けているバカ者どもに共感を得られていると知ったら、さぞかし小林多喜二さん不愉快でしょうね。「俺はこんなバカ者どもの為に蟹工船を書いたのではない。」と言っているかもしれませんね。
幸い家の落ちこぼれのS司はEducationには熱心である。「働くのが嫌いで机の前でじっと座っていたい。」と言っていたがその通りの事をしている。まあNeetよりはましか。経済的に豊かな生活をしたいという欲も無い。この性格なら抑圧から暴走って事もないだろう。それだけは安心していられる。