イラン人の車

つい先日、カルちゃんのリアバンパーが割れるほど酷くぶつけてきたばかりなのに、また夕べも右サイド全面にわたり電柱に擦りつけてきた。全く何を考えているのだか。S司の常識を疑う。
あまり叱っても返って萎縮してしまうだろうと叱らずにいたが逆効果だったようだ。
だいたいあいつはそんなタマじゃない。よほどきつく叱っても3分経てばケロッと忘れてしまうのである。大物と言うのか単なる鈍感と言うのか…。今回ばかりはかみさんもご立腹である。
「いやだ〜! イラン人の車みたい。こんなの恥ずかしくてよう乗らん。」
こんな事を言うと「偏見だ、人種差別だ。」と仰る向きもあろうが、当の本人はそんな偏見なぞは持っていないのである。


最近家の近所でもよくアラブ系の人達を見かけるようになった。そして必ずと言って良いほどボロボロの車に乗っているのである。
もともと近くにT社の研修センターがあり海外から来ている人達はよく見かけた。しかしそういった人達は旅行者のような存在で、普段着で暮らしている訳ではない。本当の意味のインターナショナル化は、やはり他国の文化を持つ人達が身近で働き、生活を共にするところに根ざしていると思う。
マーケットで聞こえてくる会話がどうも意味不明で注意して聞いていると、顔立ちは日本人だがどうやら中国語であったり。また見るからにアラブ系と解る浅黒い肌に精悍な顔立ちの人がいたり。
かみさんの知人の【じゃぱゆきさん】達も気さくで慎ましい生活の中から郷里の家族に送金を続けている。
たぶん観光ビザで入国し、どこかの派遣会社を通じて就労している人達である。また研修目的で入国というのもあるが、実質は就労の為の入国である。時として入管に捕らえられ強制送還という憂き目にあう人達もいる。
外国人の労働力に門戸を閉ざしているのは先進国の中で日本だけである。(先進国の一員と思っているのは日本人だけかもしれないが。)
他の国は門戸を開きその廉い労働力を積極的に利用している。ドイツの戦後の経済成長を支えてきたのは紛れも無くアラブ系の移民達である。またイギリス国籍、フランス国籍の褐色の肌を持つ有名人も多い事からこれらの国々も移民を受け入れてきたのだろう。
アメリカは先進国の中で高い出生率を維持しているがこれも移民によるところが大きい。
「国民の職を奪いかねないから受け入れないようにしている。」なぞと言うお役人様がいらっしゃるが低コストの豊富な労働力は自国産業の国際競争力に繋がる。一時期猫も杓子も工場の海外移転なぞをやっていたが、そんな無駄な海外投資なぞせずとも低コストの労働力を得る事が出来るのである。そして政情不安のある海外進出というリスクを負う事もないのである。
教育を拒む若者達も海外からの安価な労働力と競争させられれば自らスキルアップに励むようになる。教育、いや学習は自らが学ぶ気にならなければ効果は上がらない。ニートなぞと呼ばれる若者が多いが、親に甘え世の中に甘えているだけである。そんな連中に働いて貰うより、貧しい国から来た知識にチャンスにハングリーな若者を教育する方が余程効率的である。そういった新たなライバルが現れれば怠惰な馬鹿者も少しは真面目になる筈である。


近所の【じゃぱゆきさん】達って、戦後の復興期の日本人、丁度我々の親達の世代の人達と同じメンタリティーのように思える。なりふりかまわず家族の為、子供達の為に献身的に働いていた世代だ。多少裕福にになり車が持てるようになっても、多少のへこみぐらいならわざわざ直すこともなく乗っていた世代だ。それがいつしか外見ばかり気にするようになり、最も大切な筈の人への思いやりや慈しみを忘れ去ってしまった。車に傷を付けられたくらいで簡単に人を殺してしまう若者さえいる。こんな若者に育てたのは我々の責任でもある。
今の世代の人々が忘れ去ったものを思い起こさせてくれる。異文化でもなんでもない。本来は我々日本人の心の中にもあったものを再度思い出させてくれる。【じゃぱゆきさん】達はそんな存在なのである。それを気付かせてくれたのはS司がやらかした、カルちゃんの「イラン人の車」化なのである。


とは言うものの、S司には車の運転への適正は無いのかもしれない。あれだけ大きな事故を起こしておきながら一週間も経たない内にまた大きな事故を起こしている。
「最近やっと人並みになってきたかな?」と思った矢先の出来事である。この調子では人身事故をおこしてもなんら不思議ではない。もう一度きつく言うか、乗らせないかいずれかが必要だろう。
まともになったと思うからがっかりするのである。なんたって中学2年までオネショしていた子である。中学の通知表で【1】を貰っていた子である。小学校入学時には特殊学級へ入れられる事を覚悟していた子である。そう思えばなんら不思議な事ではない。この子の親であることは一生免れる事は出来ない。この子のお守りは死ぬまで続くのである。せめて人様にだけは迷惑をかけないよう見守り続けるのが我々夫婦の義務なのである。