役割

NHK大河ドラマ篤姫が佳境を迎えている。
夏頃から毎週欠かさず観ているが、行き当りばったりのtanuoさんとしては成績優秀である。
残り回数が後3回くらいという事は、クライマックスは江戸城無血開城といったところか。私としてはその後の大奥に勤めていた人達の再就職、身の降りかたへの奮闘に焦点を合わせて欲しかったが、回数からすると端折ったものにしかならないと思われる。
歴史の表舞台から埋もれていた女性というものが、実はその陰の主役でありその流れの一翼を担っていた事を主題としたドラマである事がとても新鮮だった。
篤姫を演じている女優さん、偶にCMでも見かけるがまだ幼さを残した風貌で、これが実際の彼女の姿なのだろう。それが一旦篤姫の姿になると、いかにも篤姫然とした貫禄を身に纏う。役者とは大したものである。
よく「仕事が人を育てる。」と言うが、役者の場合その役がその役者を育てるのだろう。


ドラマの中でよく【役割】という言葉が出てくる。篤姫が幼い頃「人にはそれぞれの役割がある。」と母親から教えられたものだが、これが篤姫の思想的屋台骨となっている。どんな状況にあろうともその時自分が為さねばならない役割を果たす。これがドラマの伏線になっている。
役割というと昨今の人事考課制度の主流となっている成果主義で必ず使われる言葉であり、その詭弁性に少なからず違和感を感じている所為かなんとなく引っ掛かる言葉でもある。(正しく運用されていれば詭弁でもなんでもありませんが。)
この役割というもの、人から押し付けられて果たすものではなく自らの考えで決めるべきものなのでしょう。本来の姿はどうあるべきか、自分に出来る最良の事は? 相手の立場に立ちその心の葛藤をも慮る…。以前「日本にプラグマティックに該当する言葉がないのはその思想そのものがないからだ。」と記したことがあるが、こうしてみると歴史の端々にその思想が垣間見えてくる。
それ以前の日本の歴史の中で、政権交代における無血開城なんてあっただろうか。篤姫はこの偉大な選択の一端をも担っているのである。歴史上目立つ事ではないが、大奥の女中達の再就職先決めに奔走するというのもそれ以前には全くなかった事だ。悲しいかな民主化の進んだ現代ですらそんな経営者はいない。
これは世界に誇るべき偉業である。それを広く知らしめてくれたNHKさんに感謝。さすがですなあ。愚かな民衆にへつらう事しかしらない民放などには全く及びもつかない事です。
政権交代における混乱を最小限に留めたおかげで列強の介入を避け独立を保つ事ができたのである。他のアジア、アフリカ諸国にもその例は無い。唯一日本だけである。
偉大な先人達の残してくれたレールの上を我々は歩いている訳で、次代の子孫達の為にも今度は我々がその礎にならなければならない。そのためには各自がその役割を果たさなければならない。自分が為すべき役割とは何か、今一度考えなおしてみなければ…。