高原列車

汽車の窓からハンケチ振れば
牧場の乙女が 花束なげる
明るい青空 白樺林
山越え 谷越え はるばると
ランラララン ララララランラン
高原列車は ラララララ 行くよ


軽やかで爽やかな曲だ。私よりも一世代か二世代前の人達が青春を謳歌していた頃の曲だと思うが、おませだった私の耳にこびり付いたままこの年になってもまだ消えずにいる。そして初めて小海線に乗った時も私の頭の中でずっと聞こえていた。
スケッチブックを小脇に抱え、清里、野辺山辺りを徘徊している時には、ドリス・デイの歌声が聞こえていた。【When I fall in Love】【Secret Love】などの曲があの辺りの景観に何故かよく似合うのだ。
小海線海ノ口辺りまで来ると八ヶ岳もだんだん遠退いてゆく。小諸に近付くと今度は浅間山、黒斑山が奇怪な姿をあらわにしている。
かつては小諸で信越線と繋がっていたが今はもう無い。峠の釜飯で有名だった横川と篠ノ井との間は廃線となって久しい。
車しか使わなくなり、廃線の悲哀など微塵も感じないほど感性が鈍ってしまったようだ。


眺める山から登る山へと興味の対象が変わると同時に、小海線もだんだん利用しなくなってしまった。八ヶ岳は行く事自体も少なかったが、行くとしても車利用で美濃戸口からである。道中の行程を考えるとそうなって当然ではある。必然的に東面の姿も見なくなってしまった。
先日その懐かしい姿を見る機会を得た。それも30年前の鄙びた清泉寮の姿とともに。私の記憶の中にあるのも37-8年前の景色なのである。懐かしさとともになにかしら胸をキュンと締め付けられるような、なんとなく息苦しいような感覚を憶えた。
そう、あの頃は常にそんな重苦しさを感じていた。生きる意味が解らず、どうして良いのかも解らず毎日が悶々としていた。
「そう堅苦しく考えなくても良いじゃないか。もっと軽く考えろよ。」
こんな発想の転換が出来たのは山との出会いがきっかけのような気がする。おかげでとてつもなく軽薄人間になってしまったが、それもまた良し。
この一枚の写真がこの老いぼれに青春時代を思い起こさせてくれた。懐かしく気恥ずかしくそして甘酸っぱさとほろ苦さが甦ってきた。