数日前のnet記事にK2での遭難がありました。「また誰かがやらかしたか。」と特に気にする事も無く詳細も見ませんでした。
昨日には捜索を断念した旨の記事。そこでも詳細は見もせず。
その後、T尾さんからLINE。なんと遭難者はかの有名な平出和也氏と中島健郎氏だとか。両名共にNHKの山関連の番組によく出ていらした方です。
何と言いますかたとえ仕事とは言え、スポンサーからのプレッシャーもあるでしょうしついつい行動がエスカレートしてしまうのでしょう。過去の著名な探検家や登山家など同様のパターンで亡くなった方々については枚挙に遑がありません。
ただ例外も多くあります。私が現役の頃スーパーマンかと思われていたラインホルト・メスナー、彼など過酷な山行がどんどんエスカレートし「いずれ遭難死するんだろうな。」と皆が思っていたものですが、ある時からそれが止まり今ではドロミテの自宅付近で後進の指導や普通のガイドとして悠々自適の生活を送っています。返ってこういった自制の効く人の方が強靭な精神力を持っているんだろうなと思ってしまいます。
K2というと私が山にのめり込んでいた頃に日本山岳会隊が第二登を達成しています。あの時は日本国中大騒ぎでした。それよりずっと前、私が20歳くらいの時のエベレスト登頂成功の時などはもっと大騒ぎでした。この頃が日本の山ブームの最盛期だったように思います。
今もまた山ガが増え静かなブームとなっているようですが、あの頃とは全く嗜好が違うもののように思います。命を賭けるとかそんな大袈裟なものではなく趣味の一環と言った穏やかなブームですね。
当時は「三人寄れば山岳会。」などと言われるほど山岳会が林立し、各県の岳連には数多の山岳会が名を連ねていました。そんな山岳会、例外なく毎週末にはトレーニング山行、その内容はと言うと明けても暮れても岩登りばかり。最終目標が冬山ですから、雪山での訓練と岩登りのお稽古はザイルの扱い方や確保の仕方などが全く同じなので、自然と岩登りが主体となってしまうのです。
となると登攀具は必需品で、かといって当時の山用品は若者の所得に比べかなり高価なものでしたから廉く買うにはどうするか?
入会したばかりなら先輩から借りるという手もありますがいつまでもそれで済む訳がありません。引退同様の先輩がいたら安く譲り受ける事も出来ますが皆が皆その恩恵に与れる訳でも無し。そこで役立つのが雑誌の広告。
当時の山雑誌には山用品の広告が多く、山渓などは広告だけで半分の頁数が充てられていました。そうです、当時の山渓は今の倍の厚みがありました。東京大阪の山用品店の広告には安いものがあるのに名古屋の店舗のものは割高、大いなる田舎名古屋を恨めしく思ったものです。
そんな中によく出ていたのがICI石井スポーツ、IBS石井スポーツ、好日山荘等々。
今回遭難のお二方、所属が石井スポーツとの事。そこでどっちの石井?と調べてみると、IBSはICIからの分家だったようです。
当時関東圏ではICI、関西圏ではIBSと棲み分けていましたが元は同じだったんですね。一時期山屋人口が減り経営難の為、IBSはICIに吸収合併され今の石井スポーツになったそうです。
そう言えば当時は好日山荘も神戸発祥のサンコージツ(好日山荘)と横浜好日山荘があり、混同を避ける為に横浜好日山荘はエーデルワイスマークの好日山荘と名乗ってました。
今、山用品店って少なくなりました。リアル店舗で欲しいものを実際に手に取って見定め、買うのはnetでお廉く。こんなことやってたらリアル店舗は無くなってしまいます。自分で自分の首を絞めているって解らないのですかね~。それともそれほどにお金が無いのでしょうか?無いのなら山を止めれば良いのに。