デカTVでYoutubeを観ていたら【志賀高原閉鎖スキー場巡り】という動画がありました。
まず紹介されたのが前山スキー場。当時は前山ゲレンデと呼ばれていました。硯川バス停の真ん前にあり短めのリフトが一本だけでしたが結構急斜面だったのを思い出します。
当時志賀高原にはチャレンジ◯◯というスタンプラリーがあり、リフトに乗るとスタンプシートの該当リフト欄に押印して貰え、志賀高原全リフトを制覇すると景品が貰えるというものでした。それで私達は志賀高原へ行く度にこのスタンプラリーに挑戦していました。志賀高原は常時シャトルバスが運行されており、離れたエリアへはこのバスを利用する事になります。玄関口の丸池蓮池辺りからリフトを乗り継いでジャイアント、ブナ平、発哺、西館、東館、一の瀬、焼額方面までシャトルバス無しで移動出来ます。また硯川からは熊の湯、笠岳、横手山、渋峠まで移動出来ます。唯一不便な所がそれらの中間点にある木戸池でした。ここはリフトが一本しか無く滑るのもあっという間。バスを降りて次のバス待ちまでの間は物凄い時間の無駄。それで一度ですがかみさんと前山ゲレンデの上から林道伝いに木戸池へ滑ってみました。これが大失敗、かなり進んだ所で圧雪が無くなり進退窮まる事に。戻りは上り坂、スケーティングで登るにはちょっときつい。仕方が無いので適当に方向を定め林の中に突入。スキーなんぞでラッセルする事になろうとは。悪戦苦闘の末、遠くから聞こえる重機のエンジン音。降り傾斜が強くなり、見下ろすと木戸池ホテルと除雪された車道。「助かった~!」いや、本当にほっとしました。こんなアバンチュールも今では懐かしい思い出です。
その木戸池ホテル併設のゲレンデも今では閉鎖となっているそうです。ここがスタンプラリーのネックとなっていましたから今では随分楽になった事でしょう。いや今でもスタンプラリーってあるのかな?もしあったとしたら頑張れば一日で全山制覇できるかもしれませんね。あの頃で大体2日はかかっていましたから。というのも笠岳スキー場もそこにあった笠岳ホテルも無くなっていました。蓮池から河原小屋の谷を跨ぎ発哺まで繋いでいたロープウェイも廃止されたそうです。このロープウェイもスタンプラリーには曲者でした。リフトを乗り継いでスタンプを稼いでもこのロープウェイに乗るためにまた戻る事になるからです。ブナ平中ほどから西館山に繋がっていた昔懐かしい卵型のゴンドラも新しいものに架け替えられていました。たしか定員2人で向かい合って座っていたような。
志賀高原へ行かなくなってもう25年くらい経つんですね。そりゃ変わってあたりまえ。
それはそうなんですが閉鎖されたゲレンデが多いって事はそれだけスキー人口も減ったって事でしょう。当時の賑わいを思うと栄枯盛衰を感じずにはおれません。
子供達を合宿に放り込み暇を持て余した我々夫婦、宿の予約もしてなかったので丸池駐車場に駐車しっぱなしで車中泊を繰り返しながら滑っていたのも懐かしい思い出。その時はホテルで夕食と温泉に浸かり湯たんぽにお湯を貰って車中泊。
笠岳ホテルはよく利用しました。幹線道路から外れていた為か宿泊費が若干お廉かったので。ホテルから地下通路でリフトの真ん前まで行き、そのリフト一本で熊の湯のゲレンデに滑り込めます。熊の湯のリフト山頂からは林道沿いに横手山のゲレンデへ滑り込めます。
笠岳ホテル跡が更地になり、スキー人口の減った今、果たして当時ほどゲレンデ外の林道などの整備が為されているでしょうか。当時の繁栄を想い一抹の寂しさを感じます。