地名 知名 痴名

土曜日夕方、携帯を開くとグループラインに連絡あり。
曰く「BS1で21時から劔岳」との情報提供。 「おっ、間に合うじゃん。録画予約しとこ。」
BS日テレで【おぎやはぎの愛車遍歴】を観ながらCMの間は、BS1で【劔岳】。一般道の尾根伝いと長次郎雪渓からの2ルートに分かれ山頂で合流するようです。昔の合宿形態でもありましたなあ。集合登山でしたっけ?
時分割で観ていてもあまり面白くありませんが、ただ景色を楽しむならこれもアリかも?
日曜は御在所通勤、帰宅後は記録アップに費やし、本日暇に任せて最初から見直します。
新田次郎の【点の記】でモデルとなった柴崎芳太郎とその測量隊の逸話に絡めての放送でした。そりゃ初登頂のルートとなった長次郎雪渓を辿るのも納得です。実際には初登頂と思っていたら、山頂に人工物である錫杖が残置されており、どうやら奈良期に初登頂されていたらしい事が解ったのですが。こういった話がロマンをかきたてる事に繋がり話が面白くなっているのですが・・・。
景色を楽しみながら観ていると、今の人達と昔人間の私との間で言葉の齟齬を感じます。
例えば、剣沢キャンプ場。嘗てはこの台地を三田平(ミタダイラ)と呼んでいました。いつの間にやら別山平と呼ばれるようになり、今回の放送ではそれすらも呼ばれていません。単に剣沢キャンプ場とその地形の上に在る施設で呼んでいます。昔人間は三田平の名前で呼ばれるものとの思い込みを肩透かしされ「???」となる訳です。
番組内では【長次郎谷(ちょうじろうたん)】という言葉が頻繁に使われていましたが、昔人間の間では長次郎雪渓と呼ぶのが普通だったような。但し【平蔵谷】は一般的に使われていましたけどね。
【三の窓雪渓】も【三の窓谷】なんて今でも呼ばないと思います。小窓雪渓もしかり。
長次郎雪渓の上部、谷のど真ん中に大きな岩の台地があり、雪が融けて来るとそこで雪渓が上下に二分されるようになります。実際にはその真ん中に廊下状の細い割れ目がありそこの雪で繋がってはいますが。
この岩を【熊の岩】と呼んでいました。そしてその割れ目を皆が通行していました。番組ではこの割れ目を【喉】と呼んでいましたが、【熊の岩】と言う言葉は全く出て来ませんでした。昔人間は【熊の岩】もしくは【熊の岩の廊下】と呼ぶのが普通で【喉】の呼称は私には初耳でした。
その【喉】の部分、雪渓が細り流れが覗いていました。それを土曜日に時分割で見た時は、てっきり9月末頃だろうと思っていました。
しかし今日最初から観ると8月だったそうです。8月と言うと昔はもっと雪が多く、各大学の山岳部が合宿に来ており雪渓のどこにでも雪上訓練しているのが見えたものです。
今はこんなに雪が少なくなっているのかもしれません。各大学の山岳部も廃部の憂き目にあっているのかもしれません。今若者の間では密かな山ブームが起こっているようですが、部活の会則に縛られるのを嫌う昨今の状況ですから山岳会は衰退しているのでしょう。それが事故の増加に繋がっているような気がします。

最後に【蟹の縦這い】。現役の頃に目にする文献には【蟹の横這い】はよく出て来ましたが【縦這い】は全く見ませんでした。当時既に【蟹の縦這い】というルートは開拓されていましたが、ガイド本などに反映するにはまだ間がなかったのかもしれません。元々は【蟹の横這い】を上り下りで共用していましたが、混雑を避ける為に【蟹の縦這い】ルートが開かれたのです。それが今では【縦這い】の方が有名になってしまい、この番組でも【蟹の横這い】という言葉を聞く事はありませんでした。
そう言えば槍の穂先の鉄梯子も今は2本取付けられており一方通行になっていますね。
この番組では無いのですが、BS2で先日、劔大滝をやっていました。大滝を越え三の窓雪渓との出合辺りに【近藤岩】という大岩がありました。昔の地図には載っていますが最近の物には表示されていないようです。これに全く触れられていなかったのです。
画面にもあの大きな岩は映っていませんでした。近藤岩、無くなっちゃったのかな?
剣沢雪渓から仙人池に分かれる時の良い目印だったのですが。

TVで景色を楽しみながらも、言葉の齟齬になんとなく違和感を感じているtanuoさんなのです。