審美眼?

視覚的なものなら人並みには持っているつもりですが、詩とか音楽とかはどうも直感的には理解できない事が多いです。特に巷で流行る歌など最初はなかなか馴染めずにいます。そして流行りが過ぎる頃にやっとその良さが解ってくると言うような事を繰り返してきました。
この性癖は子供の頃からずっと続いています。自己流にその原因を分析してみると、幼い頃の貧しさの所為で何かにつけ見知らぬ物事はまず疑ってみる事が身に付いてしまったように思われます。
先ず否定から入る。考えてみると哀しい性です。子供にも言われた事があります。「お父は否定的な事しか言わない。」
なんの力も無い貧乏人の小倅が生きて行く為に身に付けた唯一の処世術だったのですが。
この歳になると流石に否定的な事は口にこそ出しませんが、やはり腹の中では先ずは疑っています。それが知らず知らず表に現れるのか、腹黒い奴と思われる事もあります。
なるべくしてなった性格、今更直す気もありませんがその所為で不利益を被る事も間々あります。それでも20代の頃に出会ったラッセルの懐疑論のおかげで、この性格を時には肯定的に捉えられるようになりました。

前置きがくどくなってしまいました。
職について間もない頃、寮生活でしたが終業後はいつもラジオを聴きながら仕事関連の学習に励んでいました。やってもやっても世の中の技術は秒進分歩、追い付くどころかますます取り残されて行くような不安感を抱きながら毎夜あてのない学習に打ち込んでいました。まるで受験生の様なものですが、受験なら何処までやれば良いか目に見えています。キリのない学習の中の一服の清涼剤、これがラジオから流れる音楽だったのですね。
ちょうどその頃CCRが流行っていて猫も杓子もCCRのリクエスト。新しいものを懐疑的に見る性格はこの頃の方がもっと激しく、「この程度の曲が何だって言うんだ。そんなに褒めちぎる程のものでもなかろうに。」と思うのは自然の成り行き。
ですからCCRと聞くと先ず嫌悪感の方が先立ってしまい、素直に受け入れる事が出来ませんでした。

そして今この歳になって。
先日暇に任せてYoutubeを聴いていてCCRに行き当たりました。20代の頃を思い出しながら聴いてみました。聴き覚えのある懐かしい曲が流れて来ます。
「良い曲だなあ。何であの頃はあんなに依怙地になっていたんだろ?」
半世紀近く経ってから素直にその曲を聴く事が出来ました。タイムラグ約50年の審美眼、理解するのが遅過ぎねえ?

因みに CCR:Creedence Clearwater Revival