神無月のころ

いよいよ10月。
昨日3日は御在所通い。8月から準Weekly復活で身体も徐々に慣れつつあります。
そこで思う事、身体は使い続けてこそ健康が保たれるものなのですねえ。筋力の維持増強のみならず食欲も増しそれが健康維持促進へと繋がります。人間も動物であり必然的に食べてこそ生きながらえる事ができます。厭世的な宗教人とは違い、食欲も含めた煩悩に適度に支配され続ける事こそが本来の人の姿かと思います。そう、俗っぽくある事が人本来の姿です。食べる為に手間暇かけたものを動物の食害から守るのも当然の事でしょう。

この日記でもよく兼好法師徒然草を引用させて頂いておりますが、その中に標題の一節があります。
俗世から隔絶された鄙びた里にある庵に行き当たり、その趣に感銘を受けていたところ、その奥に蜜柑がいっぱい実った木がありそれの周りに厳重な防護柵が張り巡らされていた。その俗っぽさに一気に興醒めし、見なければ良かったと思った。
兼好法師の侘び寂びはその当時の世相感や美学に沿ったものなのでしょう。
今の時代、精神性は退化しているのかも知れませんが、近代的な生理学の知識を得た者の立場からすると、興醒めと言うより微笑ましく感じてしまいます。
そんな事を思い浮かべながらもいよいよ神無月。霜月、師走が過ぎればまた新たな年を迎えます。
日々平穏な中、世の流れを見つめつつ、適度な食欲を満足させながらセルフメディケーションに努め体力を維持して行こうと思います。