夢追い人

10年も人生を無駄にしておいてやっと定職に就いたかと思ったら、たった3年にしてまた別の仕事に就きたいと言う。しかもその仕事をするのに名古屋でなく東京へ行くと言う。自宅通いでなくしかも東京でとなると東京プレミアムとして少なくとも月約10万円が無駄になる事さえ頭には無いらしい。給与はと言うと今とあまり変わらず、おまけに住宅手当も無いらしい。通勤費も詳細は確認してなかったようだ。全く知恵が足りないとしか言いようがない。

初めは猛反対していたかみさんはダメだダメだと言いながらも引越しの手伝いやら今の会社への挨拶まわり等の指示をしている。結局は応援してるんじゃないか。

まあ反対はしても子供の人生は子供のもの。無駄な事、愚かな事かもしれませんがそれもまたこの子の人生。本当に行き詰った時にできる範囲で応援してやるしか無いって事ですか。

その引っ越し、本人に全てやらせれば良いものを、何もかもかみさんがやっている。そんなだからリスクも何も念頭に置けないアンポンタンになってしまったのだろう。結局は親の育て方が間違っていたって事でしょうね。私の意見などどうせ聞く訳がないと諦めてしまう私にその責任があったのでしょう。

業者に任せれば良いものを車で運ぶと言う。最初はアクアでと言っていましたが、あんな小さな車で運べる訳がありません。それでA5になりましたが、所詮クーペ。昔乗っていたワゴン車のような積載量はありません。

ああでもない、こうでもないと色々試しに乗っけていますが、それをやるのは全て私。力無し身障者のかみさんは空箱くらいしか持てません。

先ずは必要最低限の物だけを運び、お盆休みの帰省時にこちらから引越し便第2ラウンドを運びその復路にS司を乗せて帰って来る。なんていっています。結局は入居先の様子を見ておきたいって言うのが本音のようです。

 

安定を選ぶかチャレンジを選ぶか?

そう問われると私自身返答に窮してしまいます。貧困の中で育った者は夢より先ず食べる事を優先してしまいます。引っ込み思案、臆病、コンサバティブ・・・こんな私ですがこの歳になって(人生の黄昏時になって)やはりもっと別の人生があったのではないか?  と思う事もあります。もっと何かに挑戦していても良かったのではないか?と。

その別の人生を実体験できなくても子供を通して擬似体験できるかもしれない。

それならこんな選択肢もアリかな?