兼高かおる世界の旅

夕べのNetニューズに兼高かおるさん死去の記事。

既に5日に亡くなられていたようで、このタイムラグは今では知る人も少ない過去の人だったって事なのでしょうか。

御年90才、かみさん曰く「あんなに綺麗だった人も年を取るとこんなになっちゃうんだね。」 自分の事と当てはめているようです。

そう、私が知っているのは私が小学校高学年から中学の頃。60年ほど昔の頃ですからさもありなん。毎週日曜日のお昼少し前に放送されていた【兼高かおる世界の旅】で目にしていた姿です。

当時姉から聞いた話では、自分で企画しそれをパンナムに売り込みこの番組を実現させたとの事。「世の中そんなことも出来るんだ。」とその行動力に感心させられたものです。

当時は世界の文化風俗などの生の情報は皆無に等しい時代、そんな時代にこのTV番組は私に限らず多くの人達を魅了していたようです。

上品な語り口の兼高さんと聞き役のアナウンサー芥川何某さんの掛け合いもその魅力のひとつだったと思います。それとテーマ曲として流されていた、映画【80日間世界一周】のメロディーが番組開始と共に流れそれがより一層視聴者の心をときめかしていたように感じられます。

尤もこの曲がそれである事を知ったのはずっと後の事、思春期の一時期映画に嵌り、三文映画館で使い古しの雨降りフィルムで見た時でした。さすがに世界の旅に相応しいテーマ曲選びだったんだなあと感心したものです。

当時の世相では、私のような貧乏人は生涯海外へなぞ行けるものではない。飛行機すら一生乗れないだろうと思っていました。しかし海外旅行ブームに火を点け多くの人々を海外へ旅立たせたのはこの番組の力ではなかったかと思います。海外へ持ち出せる金額も大きな制約を受け、また1USD=360JPYの固定レートの世の中でしたから。

それがいつのまにか私も海外旅行経験者となりました。尤も全て仕事絡み、自前で行ってないのが心残りです。

そういえばスポンサーだった世界最大の航空会社PAN AⅯが倒産したのも数十年前。まさかあのPAN AⅯが倒産するとは誰も思わなかったでしょう。それほどまでに60年という月日は長かったとも言えます。

戦後まもなくの何もない貧しい日本の人々に夢と希望を呼び覚ませてくれた兼高さん、本当にお疲れさまでした。そして有難うございました。