ホーキング博士逝去

博士が日本で有名になったのは家の子供たちが中学に入った頃でしょうか。
筋萎縮性側索硬化症電動車椅子に座りキーボードをたたく姿に多くの人が感銘を受けたと思います。
その頃から子供達は物理学に目覚め理系の道を歩むようになりました。
あの頃から四半世紀近くが経った事になります。病気の深刻さからもうお亡くなりになっていたかと思っていましたが、長く研究を続け天命を全うされたのですね。
享年76才、早すぎるとは言い難い年齢まで生き研究に打ち込めた事は本人にとっては幸せな人生だったと思います。例え不自由な生活だったのだとしても。
ご冥福をお祈りします。
同じ昨日のNetNewsにノーキーエドワーズ死去のニュースも。
私の中学時代日本中にベンチャーズ旋風を巻き起こしたその一員でした。ベンチャーズ自体はメンバーを変えたりしてまだ活動を続けています。なんと半世紀以上続けているのです。
かつてのメンバーで既に何人かが亡くなられていますが、ここでまた旧メンバーの一人が亡くなった訳です。
テケテケテケテケの音とともに中学時代の友人達の顔が浮かんできます。
そしてまた彼らが提供した日本の歌謡曲のメロディーも。二人の銀座、北国の青い空、京都慕情、欧陽菲菲の雨の御堂筋もそうじゃなかったけか・・・。