栄枯盛衰

愛知池北側に大きなビルがいくつか建っています。日本電装NEC、マキタ等々。
いずれもR&Dの拠点のようです。20年以上前には電装勤務の知人がここで高温超電導の研究をしていると言っていました。電装さんもやっていたんですねえ。ちょうどそれより少し前、IBMチューリッヒ研究所が発見した高温超電導がブームになっていた頃ですね。
携帯電話が普及し始めた頃にはNEC勤務の友人がここにつめて中継器等のS/Wを開発していたそうです。
そのNECのビルですが暫く前から工事が始まっていました。隣には大きな立体駐車場も造られており、てっきり拡張工事だろうと思っていました。
足場やネットが取り払われそこに現れた看板、以前NECと表示されていた同じ場所にSOKENの文字。
NEC、ここから撤退したのか。
一昔前、日本の電子産業が世界を席巻していたなんて事が想像ができないほど現在は落ち込んでいます。そのあおりもあり縮小しているのでしょうか。
SOKENを調べてみるとおなじ名称の企業がいくつかありました。その中で電装とトヨタが出資して燃料電池などの研究をしているものがあり、たぶんこれではないかと思われます。電装の研究所もすぐ隣だし。
こうしてみると日本の産業は自動車産業頼りに狭められているように感じます。これは甚だ脆弱な構造になりつつあるのかもしれません。本来は多様な産業が栄え裾野を広げるべきものです。裾野が広ければ広いほどより高いピークを支えられます。
昔PCが普及し始めた頃なんどか台湾に行った事があります。そこで見たもの、それはPC関連の産業ばかりで極めて狭い範囲の技術しか持ち合わせていないという実態でした。特にIBMPCの影響からかMS-DOSインテルのCPUとチップセットIDE(パラレルI/F)HDD、PC専用の電源ユニット、その他キーボードなどの周辺機器、そして樹脂成型品(PC関連のケース)だけなら多くの企業が参入し調達し易い環境なのですが、それ以外の電子産業はというと殆ど無い、あっても外国メーカーから購入品しかないというありさまでした。台湾政府も裾野を広げる事に苦心しており、日本メーカーと合弁で半導体事業を興したりしていました。
今日本の産業基盤はやせ細り車のみがなんとか持ち堪えているように見えます。
たぶん以前の輝きが戻る事はないように思います。TVなどで【モノヅクリ】に固執した意見が幅を利かせていますが、私は今更【モノヅクリ】に固執することはないと思います。過去の成功体験にとらわれ過ぎて上手くいったためしは古今東西どこにもありません。IBMがコンピュータ製造販売会社からサービス産業に脱皮して生き残ったように日本にとっても生き残る道はサービス産業の拡充とそれへの脱皮しかないと思います。
SONYも落ちぶれてしまいましたがそのグループ内で唯一稼いでいるのが金融部門のみ。この事実からもサービス産業の需要が如何に大きいかが窺われると思います。