How many roads must a man walk down

ちょっと遅くなりましたが・・・。
この曲【風に吹かれて】を知ったのは高一の頃。もちろんPPM(ピーター ポール アンド マリー)の歌声で。
オリジナルがボブ・ディランと知ったのはずっと後の事です。
当時はフォーク流行りでクラス中の皆が熱狂していましたが、部活と長距離通学(入学後すぐに引越ししたため)のおかげで私にはそんな余裕なぞ無く「ふ〜ん、そんな曲が流行ってるのか。」程度でしかありませんでした。しかし耳に馴染みやすい平易なフレーズの所為か出だしだけは今でも覚えています。伏線としてベトナム戦争、米国の若者の反戦意識などがあり、いくら憲法九条があるからとは言え同盟国の私達も全く無関係とは言えず、意識の高い人達はそれらの曲にのめり込んで行ったのでしょう。
(私自身は短絡的に護憲を信奉するほど世間知らずでもありませんが。)
単なるシンガーにノーベル文学賞が与えられる事に賛否両論があるようですが、文学なるものに大した価値など見出せない私としては、「どうでも良い事に何を騒いでいるんだろう?」としか思えません。
今Netで歌詞を見てみるとごく普通の反戦歌。ここにどれほど文学的価値が秘められているのか私の理系のオツムには解せません。しかし懐かしい事は懐かしい。曲と一緒に当時の事が思い起こされます。
若い頃を思い出してみると、私ってその頃からかなりコンサバティブだったように思います。先に述べた九条に関しても高校時代からこのように醒めていたのですね。一部過激な連中は学生運動に参加する為東京へ行く者もいました。私はと言うとノンポリを装いながらもその実はかなり保守的な考え方をしていたのでした。議論しても不毛なだけなので保守性を隠す為にノンポリを装っていたのかも知れません。
その保守的な私が最近思った事・・・
日弁連死刑廃止宣言について。
これって本末転倒じゃないですかねえ。最も大切な事は犯罪を無くす事。その為に講じるべきことはいくらでもあります。結果として死刑を宣告される様な犯罪者が居なくなれば、死刑制度が残っていても死刑が無いのと同じです。
冤罪を無くす行動も起こさず、「冤罪の為間違って死刑になる事がないように死刑そのものを無くしてしまおう。」なんていうのは犯罪そのものを助長するようなものです。
あたりまえの事ですが、犯罪抑止力として最も効果が高いのは刑を重くする事とその執行を迅速に行う事です。それらとはまた別に人間性を養う為の文化振興と貧困から犯罪に手を染める事の無いように国民生活の安定を図らなければなりません。
賢い筈の弁護士さん達っていうのはロジカルな考え方が出来ないのでしょうか?
海の向こうのO.J.シンプソンの例にもあるように、弁護士さんっていうのはお金さえ貰えればどんな凶悪犯でも無罪にしてしまう人達なのかな?