Que sera, sera

Whatever will be will be.
The future's not ours to see.
急に政局がめまぐるしく動き出しました。結局落ち着く所に落ち着くのでしょうが、J党も3年間の下野から少しは良くなるのでしょうか? まあM党よりはマシって程度かもしれません。
期待より他にマシなのがいないからと土壇場でオバマさんが勝利したように、日本も期待は出来ないが少しでもマシな方を選ぶって事になるのでしょうか。まあM党が酷すぎたので仕方ないから元の鞘に納めようって事でしょう。
先週の3大学不認可から認可へのドタバタも遠い過去の事のように感じてしまいます。
真紀子さんも決断力が無くなりましたねえ。なんでそう簡単に態度を変えるのでしょうか。
世の中の流れは少子化に歯止めがかからず今後も一層進行します。こんな事は年齢別人工分布を見れば誰にでもわかることです。今の0歳児が18年後の各大学のお客さんになる訳ですから市場が縮小することはバカでも解ります。商取引同様、顧客数が少なければ一人当たりの売り上げ額を上げる努力をする訳ですが残念ながら今の経済状況からするとその時期にはその親達に潤沢な支払い能力を求める事はできないでしょう。
買い手が少ない状況で売り手ばかり増やしても売り手が共倒れになる事は目に見えています。つい先日も経営状況悪化から武蔵野なんとかという大学が認可を取り消されていました。今後この流れはどんどん加速されて行きます。世界の大学と比べレベルの低い日本の大学、これ以上増やして何の意味があるのでしょう。事教育機関に関しては質の悪さを量で補う事は出来ません。「美味しいものを少しだけ。」これはかみさんの食に対する考え方ですが、教育機関にもあてはまります。レベルの高いものを数量を制限して。こうすることによって尚一層競争原理が働きレベルアップに拍車がかかるのです。高校の補修機関のような低次元の大学なぞ要りません。
今日Netの記事を見ていて面白いものを目にしました。
滋賀大学長の佐和隆光さんの【大学に必要な「大相撲化」と「脱大相撲化」】なる記事です。

http://drc.diamond.co.jp/sales/pdf/201211/201211.pdf

その中で述べられていましたが、いわゆるポスドク(Postdoctoral fellow)の内、企業や大学で正規雇用に就けるのは1/3、不定期、任期付きの研究員として職に就いているのが1/3、残りの1/3は行方不明だそうです。
家のS司なんてドクターを取っても最後の1/3に入る事は目に見えています。
でもね、良いじゃないですか。生涯人様のお世話にならないと生きていけないと思っていた子が、少しは人様のお手を煩わせずに済むようになったのですから。自分ひとりだけなら何をやっても食べて行けるでしょう。
Que sera, sera.
Whatever will be will be.
The future's not ours to see.
Que sera, sera.