If you’re going to San Francisco 〜♪

60年代初め、私が中学生の頃【想い出のサンフランシスコ】と言う曲が流行っていました。尤もこれは50年代に作られたもののカバーですが、英語を習い始めたばかりの少年にとって平易な文章が馴染み易く、また旅情あふれる内容はアメリカという国への憧れとあいまって強烈に私の心を捕らえてしまいました。
I left my heart in San Francisco 〜♪ 旅情的な歌詞と叙情的なメロディーは今でもつい口元から漏れてしまいます。
当時のTV番組はアメリカ製の物が多く、西部劇からファミリードラマと子供達の心をときめかせるものばかりでした。今になって思うとこれもアメリカの戦略だったのかもしれません。敗戦後の反米的鬱憤を力で抑え込むより、平和で民主的な文化を発信することで、より平和裏に共栄して行こうとの思惑だったのかもしれません。
そんな事など全く思いも付かない我々世代の子供達は、アメリカを恨むより憧れを擁くように洗脳されて行きました。結果的にはその方が良かったと思います。恨みの連鎖はどこかで断ち切るよりないのですから。そしてお互いの繋がりが強くなればなるほど相互理解、尊敬、融和へと発展してゆくのです。
そんな事情もあった所為か、小学生の頃の家庭科で作った暖簾にはゴールデンゲートブリッジの絵を染めたりもしました。遠近感で強調されるあの立体感、戦争前にこんなとてつもないものを造っていたアメリカの凄さに圧倒されたものです。
そしてその後流行った【想い出のサンフランシスコ】。貧困家庭の中でもずば抜けていた我家にとって海外旅行なんて夢のまた夢。どうあがいても一生行けるものではない。その諦念が一層憧れと羨望を私の心に湧き上らせていたのです。
中学卒業で就職も考えていたのにどこでどう間違ったか高校に進学してしまいましたが、暫くしてスコットマッケンジーの【花のサンフランシスコ】が流行りました。どうも世の中っていうのは意地悪に出来ています。一生行く事が出来ないサンフランシスコへの憧れと羨望がまたもや湧き上ってきました。
丁度先の見えないベトナム戦争の泥沼に入り込み、厭戦的な感情が米国全土に広がっていた頃です。
ジョーンバエズやPPMのフォークが流行り、サンフランシスコのお隣のバークレーでヒッピーが起こりそしてウッドストックフェステバルへと繋がってゆく。
バークレーと言う地名とカリフォルニア大学のバークレー校というものを知ったのもこの頃です。
If you're going to San Francisco 〜♪ で始まるこの曲、【想い出のサンフランシスコ】とはかなり違い全体に明るいのですが、意味深な歌詞でアメリカの若者達が政府に叩き付けたメッセージとも取れます。
しかしながら一生行く事の出来ない私にはこの出だしの歌詞は随分意地悪く感じたものです。


昨日夕食を摂りながら夕刊に目を通し終え、閉じたところで裏面のTV欄に目を遣ります。最近はよくBSプレミアムにチェックを入れるんです。グレートサミットはやっていませんがイギリスの運河紀行をやっています。リモコンSWをON。と同時にその横の地上波番組欄が目に映ります。
「ん? ザ・ロック?」
ショーン・コネリーニコラス・ケイジの映画です。サンフランシスコ湾に浮かぶ監獄島【アルカトラズ】を舞台にしたものです。私、劇場版で観ています。
つい先日Netの無料映画で【プリティ・プリンセス】も観ました。アン・ハサウェイ主演、そのお祖母さん(クイーンです。)役にジュリー・アンドリュース。これもサンフランシスコを舞台とした映画です。どうもサンフランシスコづいていますね。
アルカトラズを知ったのは仕事でサンフランシスコに行った時でした。一生海外旅行なんて出来ないと思っていたこの私にも行く事が出来たのです。仕事で行っただけですが休日にはしっかり観光させて頂きました。もちろん観光は自腹です。
雑用の後寝室で睡眠導入剤代わりにTVオン。この時にはもう【ザ・ロック】の事を忘れています。NHK双葉山をやっていたのでつい引き込まれて見ちゃいました。それが終わってからリモコンでガチャガチャ。そこにショーンコネリーが現れました。「あっ、忘れてた〜。」半ば認知症のtanuoさんらしいです。
もう殆ど終わりかけ。おまけにアルカトラズや金門橋は画面に出てきません。まっ、いいか。
しかし、ショーン・コネリー、本当に良い役者さんです。中学生の頃のサンフランシスコへの憧れと同時に007が甦ってきます。もちろん貧困家庭の当時の私には映画で見ることは出来ませんでしたが、友人達の話を羨ましく聞いていたものです。
あれから半世紀近くが経ち紅顔の美少年も60過ぎの爺になりました。気が付けば憧れの地にも足跡を残していたのです。「良い人生でした。」と言ってももう良いでしょう。


一昨日S司を迎えに行った時こんな事を言っていました。「次は10月に札幌、12月にサンフランシスコ。」
やはり地球は小さくなっているのかもしれません。私が行ったのは40代半ばだったと思います。S司はまだ28才、それもまだ定職にも就けないプータロウ。何の抵抗もなくまるで隣町へ行くような感覚です。
そんな話の翌日にアルカトラズですから寄寓と言うかなんと言うか。
「学会ってバークレー校でやるんか?」
「知らん。」
金門橋が見れるね。」
「なにそれ? 知らん。」(こいつ金門橋も知らんのか。ホントにな〜んも知らんやっちゃなあ。)
金門橋渡ってちょっと行くとナパバレイがあるぞ。ワインの産地で有名な所。」
「あっ、良いね。飲んで来よう。」(決してお土産に買って来ようとは言いません。)
金門橋からアルカトラズ島が見えるぞ。島全体が刑務所だった所。」
「あっ、面白そう。絶対に観て来よう。」(こんな事には興味を示します。)
車の運転が下手なS司君、あちらでレンタカーを借りる事はないと思いますが、あの急坂をマニュアル車ではチト厳しいかも。なんたってあのアン・ハサウェイ演じるプリンセスも登らなくなりチンチン電車(有名なケーブルカーです。)とぶつかってますから。
そのチンチン電車も動いている状態でお客さんは飛び乗ったり飛び降りたり。ドン臭いS司君には無理かも。
こんな事を想像してたらつい吹き出してしまいました。
そんなこと知らないS司は???って顔をしていました。