小説?

I都知事芥川賞の選考委員を辞めるそうです。その言が「飽きたから辞める、バカみたいな作品ばかり…。」
それに反発してか受賞者が「4回も落とされたので断るのが礼儀だが、気の小さい都知事の為に貰っといてやる…。」
また子供の喧嘩かと思っていたら、Iさん「それぐらい尖がってなきゃ。小説家なんてそんなもんだよ。」と軽くいなしちゃいました。こういった大人びた所もあるんですね。
公人としてのIさんはナショナリストの急先鋒でもあり、また思慮に欠ける軽率な言動が目立ちます。その為、私などつい批判的になってしまうのですが、一個人としては憎めない、いやはっきり言うととても好きな人種です。軽率ではありますが改むるに憚らないところ等、いかにも人間臭いです。
聖人君子の上杉謙信より人間臭い武田信玄が大好きなtanuoさんとしてはやはりこの手の人に惹かれます。
芥川賞で思い出しましたが、先日TVで【三丁目の夕日】を観ました。初回版は映画館で観たのですが内容が違っており第二作だったようです。
原作の漫画とかけ離れ過ぎており二作目は劇場まで出かけなかったのだと思います。
途中からなので全体の内容は把握していませんが、その中で茶川先生(芥川に引っ掛けて付けた名前です。)が芥川賞候補となり騒ぎが起こるという展開になっていました。
生涯をかけてこういった賞に挑み続けている人が現実にもいるのでしょう。私のように小説などと言うものになんら価値を見出せない者にはどうも実感が湧きません。まあ努力し続ける事は傍目には美しいものですが。
それでもやはり哀れな人々だと思ってしまいます。もっと生産的な人生があるだろうに。
著作権が世に認められるようになってから、版権というものがひとつの利権になっていることがそれに狂う人を作っているように思います。
人の心の機微などを文章にすることがそれほど価値がある事でしょうか。もっと学術的な事の方が余程世の為人の為になると思います。
そして学術的な研究成果ってあまりお金に結びつきません。せいぜい雑誌【サイエンス】に取り上げられる事がその人の名誉と自己満足となるだけです。その成果からビジネスに繋がるまでにはそれに続く数多の研究、実証を経なければなりません。結局それらの研究成果は周知の事実とされ、ビジネスに繋がったとしてもその利益がそれらの人々に還元される訳ではありません。
Netの普及につれて電子書籍も増えてきました。音楽などはアップルのi-Tunesの出現で曲単価が劇的に下がりました。音楽、小説などの利権は著作権者に集まってくる版元(レコード会社、出版社)の為のものです。レコード盤(今はCDですね。)や印刷物を介さずに配布されれば価格は下がります。いずれこういった版元は消えてゆくか著作権者をプロデュースをする企業に変わって行くのでしょう。そうすれば動くお金も小さくなり○○賞などというものに振り回される人々も減るのではないでしょうか。実際の価値より高く評価され過ぎてた今までの時代が文学志向に振り回される人々を作っていたのではないでしょうか。
文学小説の素晴らしさを未だ理解出来ずにいるジジイの戯言かもしれませんが…。