デニス・リッチーさん逝去

先々週末のジョブズ氏に続き先週末にはデニス・リッチーさんが亡くなられました。
ジョブズ氏の反響の大きさの影に隠れてしまったようでなんとも静かなものです。長い闘病の末、周りから騒がれる事もなく全く対称的です。
知名度からすれば仕方の無い事かもしれませんが、あまりにも寂しい逝去です。
技術としては一昔前のものと言われても仕方がないのかもしれませんが、未だその恩恵に浴しているものとしては「ジョブズ氏と同等の世の中への貢献度ではないか?」と言いたくなります。
我々のような組み込みシステム(コンピュータと言うよりもコントローラとしての用途)業界に身を置く者にとってはC言語は未だ主流です。Cから派生したC++などもありますが基本的な文法はCです。高級言語の記述性を備えながら、直接メモリにアクセス出来るなどハードウエア寄りの言語は他に無い独特のものです。だからこそOSのようなハードウエアへの依存度の高いソフトウエアが記述出来るのです。
ベル研究所でOS(UNIX)を開発する為に作られた言語であり、UNIXはCで記述されています。それまでのOSはアセンブラで記述するのがあたりまえだったのですが、記述性の高いCを使う事によりPDP-11以外のコンピュータにも容易にUNIXを移植出来るようになりました。(PDPは当時DECが作っていたミニコンでベル研以外でも多くの企業が使っていました。)
UNIXは商業目的以外(学校)に対してほぼ開放されていたため殆どの大学に採用され、また各大学でもそれを独自に改良したためいろんな亜種が生まれました。有名なUNIX BSD版というのはカリフォルニア大バークレー校で開発されたものです。
企業向け業務用にIBMが圧倒的なシェアを誇っていた当時、科学技術計算用のコンピュータはDECのPDP或いはVAX-11と、UNIXの組合せで。と言うのが一般的でした。
日本の大学、特に歴史のある国立大などもUNIX環境下で築き上げたソフトウエア資産が多く、未だにサーバー等の基幹システムはUNIXで動いているようです。さすがに世の中の流れに合わせクライアント側はLINUXで繋いでいました。そんな訳でうちのS司のPCもLINUXがインストールされていました。
先日の日記で触れた、ゼロックスのPARC(パロアルト・リサーチ・センター)でジョブスの目に留まったGUIUNIXの環境下で動いていたものです。UNIXでもウインドウシステムは開発されておりX-Windowの名前で市販もされていました。ジョブズが目にしたのはその前身ではなかったかと思います。しかし当時の開発者にもこれがどれほど凄いことなのかは気付いていなかったのだろうと思います。その素晴らしさに逸早く気付いたのがジョブズだったって事でしょう。奇しくもジョブズ自身が言っているように、パクリはアップルのDNAなのだそうです。その素晴らしさを世の中一般に広めた功績の方が開発者の功績より偉大だと信じきっているようです。
話が飛び過ぎてしまいましたが、C言語の開発とそれによるUNIXの開発、これを行ったのが標題のデニス・リッチーさんです。
以後OSは全てUNIXの構造を範とし、よくUNIXライクなOSと呼ばれる事があります。MSウインドウズのファイル管理システム(エクスプローラ)もUNIXを真似ておりこれは世の中のOS全てについて言える事です。
C言語についても多くのコンパイラがサポートされており、MSCマイクロソフトC)と言うのもあります。
大元は全てリッチーさんの業績に根ざしているものなのです。
ついでにマイクロソフトのOSあれこれ。
当初MSDOSと呼ばれていたように、OSというよりディスクドライバーの意味合いの方が強いものでした。バージョンを上げるに従いOSとしての機能を加えて行きましたが当時のアップルと比べると完成度の低いものでした。しかしIBMDOSを採用した事で市場を独占する事になります。複雑系でよく言われるインクリーシング・リターンズ(収穫逓増)やデファクト・スタンダードと言う言葉はこの事を代表する言葉として脚光を浴びました。売れれば儲かり資金力も付きます。マッキントッシュGUIをパクりウインドウズをリリースします。そして次なる一手はウインドウズNT。(ニュー・テクノロジーの略)この開発の為に引き抜いたのがDECでVMS(バーチャル・メモリー・システムの略)を開発したデビッド・カトラーです。これは小説「戦うプログラマー」に取り上げられています。DECはOSとしてUNIXと自社OSのVMSの両方を顧客に提供していました。当然VMSも基本はUNIX。これにバーチャル・メモリー機能を加えたものです。そうなるとウインドウズNTがいかなるものか察しがつくでしょう。以降いろいろと新OSをリリースしていますが基本は皆同じ。未だUNIXを超えるような斬新なものは現れていません。
こうしてみると、やはりUNIXの産みの親であるリッチーさんが如何に偉大であったか納得できるのではありませんか?