反【ルイスの転換点】

世界的な金融不安からの景気低迷により、世界中で都市部への人口集中が反転傾向だそうです。
日本でも大抵の都市部は例外なく人口の流失傾向が見られるとか。
そんな中、東京圏だけは相変わらず一極集中が停まっておらず、震災の後は一層それが強まっているとか。
情報化が進めば集中は緩和される(地方でも都心同様情報が得られる)と言う説もありますが、今度は情報の質による差別化が起こり、より一層一極集中が進むとも言われています。そりゃあメディアを介した情報より生の声の方が正確性が高いですわなあ。俗に言う「膝を交えて」ってやつですか。
M.E.ポーターさん言うところのクラスタや、R.フロリダさんの言うクリエイティブクラスの流動性でも解かるように、一言でいうならば情報もお金同様【寂しがり屋】さんなのだ。って事でしょう。だからどうしてもそれがたくさんある所に集まってしまうのです。
それに抗ってみても所詮仕方の無い事のように思います。
一次産業、二次産業間で必ず起こる【ルイスの転換点】は、情報を必要とする者とそれほどではない者との間でも起こりえるのです。そして現在世界中でこの情報版ルイスの転換点が顕著に現れています。
正規のルイスの転換点での弊害は人件費の高騰からインフレーションに繋がる事ですが、情報版ルイスの転換点ではさほど大きなものは無いように思います。ただ 情報=お金 の傾向を考えると地域間格差の温床となる可能性は大きいでしょう。
東京圏への人口集中という事からついこんなよしなしごとを夢想していたのですが、そのひとつの解決案を思いあたりました。
ルイスの転換点の要因は農業の魅力の無さではないか。それなら農業を魅力的なものに変えればその魅力に惹かれ従事する人口も増えるのではないか。活性化された農業に従事するには例えそれが工場内で行われようと広い場所が必要となり郊外或いは地方へ広がるのではないか。
そして農業製品(生産物とは言いません)というのは人が生きていく上で必要不可欠なものです。また工業製品のように一度購入すれば暫く買わなくて良いといった類のものでもありません。人が生きている限り市場は無くならないのです。工業製品ばかり作っていた者からするとこんな魅力的な市場はありません。
農業を魅力的なものにするには生産性をドラスティックに上げる必要があります。狭い日本でどうやって土地を広げるか? 耕作地を縦に段重ねすれば良い事はすぐ思いつきます。電子機器のパッケージングではごくあたりまえにやっている事です。農作物の光合成は太陽光でないとダメって訳ではありません。植物が光合成に必要とするスペクトルはごく限られたものです。そのスペクトルだけを照射すれば良いのですから白色光より効率は良くなります。原料は電気、水、空気(二酸化炭素)であたかも工業製品のように農業製品が製造できます。
市場の顧客は多様です。中には高くても路地植えの作物を好む人もいるでしょう。またその中間(どういったものになるかは色々考えられます)で良いという人もいるでしょう。こうやって生産者側も多様になりそれぞれの領域で農業が活性化されれば政府の補助にしがみつく人も居なくなるでしょう。そうやって産業自体が活性化すれば自ずと国際競争力も付いてきます。そして内需にも貢献できる訳です。生産性が上がり過ぎて豊作貧乏になる前に生産調整も可能です。必要なら年間計画として飢餓に襲われている国に無償供与する分を見込む事もできます。この分は税金の物納とすればコストは原料分だけで済み節税にもなります。


Netのニューズで台湾の経済担当大臣へのインタビューを見ました。
「ハイテク偏重だった税制を改め全ての産業に対して公平なものにした。今後は政府が成長産業を決めるような事はしない。公平な環境でそれぞれの産業が力を発揮して欲しい。」と言った内容でした。
我々も二次産業偏重、農業の過保護による弱体化、を今こそ食い止めなければならないのではないでしょうか。
戦後まもなく始まった集団就職が代表する日本の【ルイスの転換点】、今こそ【反ルイスの転換点】を起こす時ではないでしょうか。