定期検診

今日は定期検診。年に一度のCTの日です。
来るたびに様子が変わっています。いかに年一度とはいえこの変化の速さは何なんでしょ。おかげで緊張を強いられ脳が活性化します。ボケ防止には最適でしょう。
いたる所に【放射線】という表示が並んでいます。フクシマの記事が新聞紙上に反乱しているこの時期、放射線は悪の権化のようにとらえられがちですが、その放射線の特性のおかげで体内の病巣を逸早く可視化でき治療に繋げる事が出来るのです。
私なぞ毎年毎年被爆している訳ですが、この被爆量で癌の発生率が極端に上がる訳でもありませんし、また微量の被爆は返って免疫力を高める事もあるようです。例えばラジウム温泉などはこの効用がよく宣伝されています。
私が入院した頃はこの病院にCTは2台しかありませんでした。MRIも1台ありましたが、当時MRI自体全く普及しておらず名古屋全体で数台という程度でした。
当時のCTはまさに輪切りしてゆくもので、ベッドを縦方向に数cm移動しては止めスキャンを繰り返すものでした。ですからガイダンス音声の「息を吸って、…止めて下さい。」も輪切りする回数聞いたものです。時間的にも15分ほど(撮影範囲、スキャン回数で異なります。)かかっていました。
それがいつの間にやらCTの検査室が増え(CTの台数も増え)装置自体も輪切りでなく螺旋状にスキャンする方法に替わってゆきました。
いちいちベッドを止める必要がないのでスキャンヘッドが回転している中を一定速度でベッドも移動、ガイダンスも一度きり、息を止めるのも一度っきり、ものの5秒ほどで終わってしまいます。電子機器の進化に伴い医療機器も日進月歩どころか秒新分歩です。
日本の開発したスパコンの処理速度が世界一に認定されたというニューズに「2位では駄目なのか?」などと宣わったアホウなM党議員さんも「努力に敬意」との事。
科学技術の発展は世界中が切磋琢磨し続ける事で創発されるものなのです。それが色々な形で我々の幸せに繋がるのです。
フクシマ以降世論は原発反対一色です。今まで全く無関心だった著名人達がこぞって反対を唱えています。私のように捻くれた者には【時流に乗った売名行為】のように思えてしまいます。「そんなにご立派な事を言うんなら今までなぜ黙っていたのですか?」
マザーテレサの言葉に「愛の反対は憎しみではありません。それは無関心です。」というのがあります。これらの方々、この言葉をご存知なのですかね。
いや、フクシマがきっかけで原発の事を考えるようになったのは不幸中の幸いかもしれません。自分で考え自分の意見を持つ事は良いことです。ただ今の流れではその反対意見が言えない雰囲気に世の中が染まっています。まるで戦時中の大政翼賛会です。
世の中が右を向いたら猫も杓子も右、左を向いたら左。反対意見を許さないこの体質こそが最も危険なものだと思います。
J党幹事長の石原伸晃氏の【集団ヒステリー】発言、これも物議を醸すかもしれません。しかし客観的に眺めてみますと今の流れは【集団ヒステリー】以外のなにものでもありません。かつてエネルギー不安は日本国民の民族的ヒステリーでした。それが第二次世界大戦に突き進んでしまった原因である事も歴史が証明しています。
温故知新、歴史を思い起こせばやっていけない事が見えてきます。ヒステリーに陥るのではなく反対意見を聴く余裕を持って何が最善であるかを考えて行きたいですね。
そう言えば地方自治体首長の原発継続発言も有りました。青森と佐賀でしたっけ。青森というと六ヶ所村は核廃棄物の一時保管を昔から受け入れていました。再処理工場も建設中でしたっけ? 交付金とのトレードというとダーティーなイメージを持たれるかもしれませんが地元の人々には唯一の生活基盤でもある訳です。両首長としては苦渋の選択かもしれませんが、流れに迎合しているだけの外野と違いより真剣に考え抜いた上での結論だと思います。なにもかも他人事の中央政府よりよほど政治家としてのリーダーシップが備わっていると思います。


あっ、ぼちぼち時間です。定期検診第2ラウンド、眼科検診に行って来ようっと。