ルバートなくして音楽はありえず。行政もまたしかり。

昨日(5/7)の事。連日のドサクサ続き、とりあえず新聞はこちらに届いています。嵐の前の静けさ、その静かな内に朝刊を取り込むとその一面には浜岡原発停止要請の記事。唐突過ぎてポカ〜ン。内閣延命を狙ってのポピュリズム丸出しです。

別に私は推進派と言う訳ではありませんが全くの否定派と言う訳でもありません。総合的に見て現時点においてはリスクが大きく管理上の問題も先送りされたままである事は周知の通りです。(それにしては今まで異を唱える人が少なすぎました。)そして今回のフクシマの災害により猫も杓子も反原発を唱えています。(TVで地層処理の宣伝をしていた俳優さん女優さん達、今何を思っているのでしょう。)

未解決の問題を多く抱えてはいますが、すでに原発は我々の生活の中に大きく入り込んでいるのです。ドイツのように脱原発に舵を切るのもひとつの選択ではありますが、そのためには脱原発に向けてのロードマップがまず必要です。既に生活の一部となっているものを排除するにはそれなりの手順と時間が必要です。その手順を踏まないまま唐突の停止要請、それも浜岡原発のみ。将来の構想もなにもないただの思いつきであることはこれらの事を見ると誰の目にも明らかです。

片側に世論が振れ出すと誰も彼もが盲目的にそちらに振れる、我々国民のこの姿勢が愚かな政治家をポピュリズムに走らせているのかもしれません。

以前にも述べましたが、原発に関して我々人類はあまりにも経験が少なすぎるのです。そしてそのリスクも自然相手のものと比べものにならないくらい大きくそれを制御する方法もまだまだ未熟です。リスク回避を優先するなら脱原発なのですが、上手く制御できれば収穫できる果実はあまりにも大きいのです。脱原発を選択するのは簡単ですがリスクを避けてばかりいたのではイノベーションなぞ起こりようがありません。リスクが大きいからこそそのリターンも大きいのです。市場に深く浸透し多くのエンジニアが原発に関わるからこそ多くのイノベーション創発され爆発的に科学が発達するのです。今原発企業として世界最大のフランスの【アレバ】も、ドイツが脱原発を選択した為【ジーメンス】から多くの技術者が移った結果なのです。

どちらが人類にとって望ましい結果に繋がるか? 神様でない限り現時点では誰にも解りません。ただ単純に今の世論に流されるだけではベターな結果に繋がらない事だけは確実です。



長いもので半減期が数万年、人類の歴史がまだ数千年。このままでは未来永劫に亘って負の遺産を管理し続ける事になるのですが、なんらかのイノベーションによりドラスティックに管理への負担を減らす事ができるかもしれません。或いは平行して研究が続けられている核融合炉が実用化されれば放射能という負の遺産は解決されます。

いずれを選択するにせよ思いつきで場当たり的な事を繰返しても世の中が混乱するだけです。我々国民ひとりひとりがどうあるべきかを考えそれを国家の方針に反映した後、その実現の為のロードマップを策定し極力混乱を来たさぬよう実施して行くのが順当なやり方です。

何事も瞬時に切り替えられるものなどありません。マルセル・モイーズの言葉のとおり「ルバートなくして音楽はありえず。」そして行政もまた然りです。