アイガー東山稜

Google Earthの続きです。
アイガーの俯瞰を楽しんでいてふと槇有恒を思い出しました。呼び捨てにしてしまいましたが、我々庶民派山屋にとっては雲の上の存在です。いや既に亡くなっているので天国の存在ですね。
日本登山界の草分け、そして海外での活躍でも有名です。その代表例がアイガー東山稜初登攀です。著書の【山行】の中に記されていますが、当の本人達はそんなに大した事をやったつもりではなかったのですが、下山後はグリンデルワルトの街を上げての大祝賀会。山行そのものよりこちらの方に驚いてしまったとか。登攀具、技術ともにまだ未発達だった頃の快挙です。それも東洋のちっぽけな島国からやってきた小男と若干の現地の若者達だけでやってのけたのです。確か梯子まで担ぎ上げたとか記されていたと思います。それこそ思いつくことならなんでもやった結果です。既成概念に囚われない若者故の快挙だったのでしょう。絶対に人には登れないといわれていた東山稜、そりゃあ地元の人達には大きな驚きだったに違いありません。
それが大正時代中期の事ですから日本ではまだ岩登りそのものが知られていない頃の事です。


そんな「なんでもあり」と梯子の有用性に人々の目が向き始めた結果でしょうか、たしかシャルレだったかな?ピックの根元付近に浅いU型の切り込みが入ったピッケルがありました。この穴に別のピッケルのブレードを挿し込み2本分の長さの棒になるようになっていました。これを梯子代りに使えるとの事でしたが実際に使っているのを見た事はありません。
話をもどしてこの東山稜、末端は東側を南北に走るU字谷にほぼ垂直に落ち込んでいます。山稜そのものよりこちらの方が余程急でとても寄り付けそうにありません。「どうやって取り付いたんだろう?」疑問とともに若き日の槇有恒らの行動力にあらためて感服した次第です。やはりバケモノはいつの世にもいるんですねえ。
以降急速に登攀技術、道具などが発達するも最後の未踏ルートの北壁が初登攀されるまで20年近い歳月を要しています。そして戦後20年の1965年にタカダ貿易の高田光政氏が日本人として北壁初登頂されています。
その後は冬季北壁初登攀を競う時代、三大北壁(アイガー、グランジョラス、マッターホルン)の冬季登攀を競う時代と移り現在に至っています。
Google Earthでベルナーオーバーランドを俯瞰しながらこんな事に思いを馳せているtanuoさんです。