生きる力

朝、最寄りの駅までのカカバスの中でかみさんがS司の愚痴。
日曜は一日中布団の中で、夕方に起き出し学校へ。そのままお泊りで昨日月曜の夜9時頃に帰宅。
食事の後はまた二階の自室に引篭もり。本当の引篭もりとは違いドアは開けっ放しですが。
かみさんが風呂に入るように言っても生返事をするだけ。それが一定時間毎に何度も繰り返されます。
PCに向かっているとその処理の遅さに直ぐ対応出来ないのも解りますが、S司の場合はそんなレベルのものではありません。
子供の頃から何をやらせてもグズで学校の先生からも諦められていたS司です。未だに小学生レベルで【なにはさておき。】って事が出来ない子なのです。自己管理が出来ない。スケジューリングが出来ない。まるっきり子供です。これで27才? いや今月20日で28才です。ふ〜。
「俺も叱ってやった。」
「もっと早くお父が叱ってよ。私ばかり嫌われ役じゃないの。」
「あいつは一生ああなんだろうなあ。尻を引っ叩いてくれる嫁さんでも貰わなきゃあ。」
と言いながらそれが自分にもあてはまっている事に気付き苦笑い。


S司に限らず、また程度の差はあっても、人間って甘やかされていては成長しません。外部から負荷がかかったりストレスを与えられたりするから成長するのです。
いやこれは人間だけでなく全ての生物にも言える事で、云わば自然の摂理、法則のようなものです。
木の根元に常にたっぷりの水を与えても成長しません。返って根腐れで枯死してしまいます。根から離れた所に水を与えたり、常時でなく乾いてから与えるなど焦らしてやると逞しく育ちます。木自身に生きる為の努力をさせないと、些細な事ですぐ枯死してしまうひよわなものになってしまうのです。
自分自身で生きて行く力をつけさせる。人の場合は教育がこれにあたります。
子供手当て】なんていうのは木の根元にジャブジャブと水を与えているようなものです。たとえ少子化が多少緩和されても、自活できない者を増やし他の自活できる人々の負担を増やすだけです。
少子化に歯止めがかからなくてもそのお金を教育にまわす方がよほど将来の為になります。それも高等教育、実際の経済効果に直結する大学などの研究に対してです。たとえ一握りの人達でも、そこで鍛えられた人々が社会に国家に高付加価値をもたらすのです。
このバカな【子供手当て】が長く続いた場合、日本の将来に与える悪影響を想像した事があるのですかねえ。所詮くる【くるぱーの鳩ぽっぽ】の思いつき。深謀遠慮があっての事ではありません。国家を滅ぼしかねない悪法である事に気がつかないのか、私利私欲の為に気付かないフリをしているのか。M党の方々、真面目に考えて頂きたいです。
20年程前に始まった【ゆとり教育】。最近やっと撤回しましたが、この世代の若者達が大きな社会問題になっています。この世代の人々も被害者には違いないのですが、伸びなきゃならない時に刷り込まれてしまった甘やかしが、積極性のない事なかれ主義を染み付かせ経済活動の足を引張っています。
間違った農政で日本の農業を海外と全く太刀打ちできないひ弱なものにしてしまった経験が生かされず、この世代の人々もまた日本の農業と同じように【お荷物】にしてしまったのです。
そして次にはこの【子供手当て】で国に甘える事があたりまえと考える世代が生まれようとしています。
これらの悪政は国全体から道徳教育が無くなった所為ではないか?と私は思っています。
世の為人の為、将来の子孫の為。そのために私達の一生があるのではないですか。一時の自身の快楽のみを優先してどこが幸せだと思えるのでしょう。


などと言いながら、自分の子供すらまともに躾けられなかった我々夫婦。他人の批判なぞする資格はないのですが…。