情けは人の為ならず

飛んでイスタンブール〜♪ ってフレーズの歌謡曲が昔流行っていました。
東洋と西洋の接点にあるこの町は有史以来交易の中心、政治、文化の中心として栄えてきました。
世界史によく登場するこの町は永くコンスタンチノーブルと呼ばれていました。
皇帝コンスタンチヌス1世が東ローマ帝国の首都をここビザンチオンに遷都して以来、その名をとったものです。美術史に登場するビザンチン様式の建築物などもこの地域から東ヨーロッパに広がったものでありアラブ様式の影響が色濃く残っています。
4世紀から15世紀まで約1,000年に亘り存続した帝国の首都だったのです。
その帝国を滅亡に追いやったオスマントルコもこの地を首都とし、イスタンブールと改名しました。以降20世紀初頭に帝国制を廃止した後も現在のトルコ共和国の最大の都市として繁栄を続けています。共和国の首都はアンカラに移りましたが、経済文化の中心は相変わらずイスタンブールが担っています。
えっ、何の話かって? はあ、先日来のロレンス繋がりで思いついたよしなしごとをとりとめもなく書き綴っておりまして、苦しゅうこそもの狂おしけれ。なんちゃって。
トルコって日本人の我々は、つい中東のはずれの小国と勘違いしてしまいますが、中世以降のヨーロッパの人々にとってエキゾチックな文化を持つ大国として大きな影響力を持っていたのです。
当時の欧州各国の軍隊には軍楽隊なぞ無く、オスマントルコの軍隊が太鼓の音に合わせ戦闘を行う様は最新鋭の武器と移っていたのです。向かうところ敵なしの秘密はこの軍楽隊にあり、その影響からモーツアルトトルコ行進曲を創っています。同じようにモーツアルトを師と仰いでいたベートーベンもトルコ行進曲を造っています。
こんなところにもオスマントルコの影響力の大きさが見て取れます。


明治初期、和歌山県串本沖でオスマントルコの軍艦が遭難しました。こんな極東の外れにまで軍艦を派兵していた事でもその軍事力の大きさが想像できます。
その救助にあたったのは地元の漁師達です。以来トルコの人達の対日感情は我々日本人が思う以上に良好です。共和国となった今でもオスマントルコ以来の恩義を感じているそうです。
開国して間もない頃の極東の小国に対し、当時はまだ強大な影響力を持っていたトルコの人達は、小国だからと言って見下すような事はありませんでした。異教徒に対しても寛大なイスラムの思想がそういった謙虚で大らか、かつ信義に厚い国民性を育んでいたのでしょう。
時代は移りイランイラク戦争の中、バクダッドに滞在していた外国人達はサダム・フセインから国外退去を命じられました。
日本以外の国々は自国の民間航空機や空軍機により速やかにバクダッドから飛び立ちましたが、どういう訳か日本人だけが取り残されてしまいました。JALは路線を持っていないとの理由でバクダッド行きを渋ります。既に戦闘地域と化していたバクダッドが危険すぎる事もその理由です。
まともな人なら「じゃあ自衛隊機を派遣すれば良い。」と思うのですが、それを阻んだのはS党K党です。「自衛隊の国外派兵は法で認められていない。」と横槍を入れたのです。最近の普天間移設の件でも反対のための反対に終始している政党です。それじゃあどうするのがベストか?なんて考えなど全く持ち合わせていません。全くこれで政党とはねえ。こんな人達には一人の国民でさえ護れる筈がありません。そんな非常識な政党でもまだ存在が許されているっていうのは日本が民主国家である事の証明でもあります。例え存在価値など認められなくても、ひとりでもそれを支持するおバカが居ればその少数意見も認める。素晴らしい民主国家ではありませんか。しかしその為に大いなる無駄が発生している事を皆さんご存知なのですかねえ。
痺れを切らした外務省職員がイラク在住の日本の商社員を通じトルコ大使館員にトルコ航空機の派遣を打診した事から状況が急展開します。
エルトゥールル号の恩義は100年過ぎた今でも忘れていません。やっと恩返しが出来る時がやってきました。」こう言うと同時に本国政府の了解を取り付け急遽トルコ航空機がバクダッドから日本人達を乗せて飛び立つ事となりました。タイムリミットぎりぎりの事です。もしトルコの支援が無く大勢の日本人達を死なせてしまった場合、S党K党ってどう申し開きするつもりだったのでしょう。こんな害悪撒き散らし放題の政党がまだ政治に口を挟んでいます。それを放任するM党政権、早く消えて無くなれ。
それにしてもトルコの人達って素晴らしいです。義理には強いが人情には弱い。まるで【てなもんや三度笠】。冗談はさておきこれって典型的な日本人の特徴でもあったのです。イスラムの精神も日本人の精神も根は同じだったのです。この日本人らしさ、一体いつごろから消え失せてしまったのでしょう。
串本の漁師達は見返りを期待して救助にあたった訳ではありません。しかしその行いが100年以上経った後の日本人救助に繋がっているのです。まさに【情けは人の為ならず。】です。
いや、この精神、消えてしまってはいませんでした。ただ単に「困っている人達のお役に立ちたい。」という素朴な気持ちから海外で活躍するNPOの若者達が増えています。その人達の無償の行為が地元の好感、敬意を誘いそれが国家間のいがみ合いを和らげて行きます。生身の人間同士の心の繋がりが争いを緩和しお互いを認め合い敬い合う事に繋がります。
家に引き篭もっている若い人達! 心機一転海外で自分を試してみませんか。いかにどうでも良い事を理由に引き篭もっていたか、それを知ることでもっと大切なものが見えてきます。
食欲、性欲の他に人間にだけ与えられた歓び。人の役に立つ事が出来た、という歓び。人に感謝される事の嬉しさ。
同じ人生、ひとつでも多くの歓びを感じてはいかがですか。
中東の人達が最も必要としているもの。それは水です。日本の浸透膜技術は世界で最高水準のものです。海水の淡水化には無くてはならない技術です。商売に繋げようなどと考えるのではなく、現地の人々のお役に立つことを第一義としてそのプラントを進める事もそのひとつに挙げられます。その協力を続けるにはそれに見合う利益も必要です。商売気など表さなくとも継続こそが地元の人々の望みですから継続に必要な利益は向こうから与えられます。そして各地にプラントを広げ、内陸部にはパイプラインで淡水を送ります。こちらから売り込まなくても現地主導で大きな事業に発展します。
灌漑の為の土木技術にしても農業の技術にしても、中東の人達に必要な技術を日本は充分に持っています。これを協力に使わない手はありません。農業活性化の後には工業化の技術も持ち合わせています。お互いの協力関係が地域の発展、そして政治的安定に繋がるのです。
生活が豊かになればイスラム原理主義に走る事もありません。衣食足りて礼節を知る。お互いの尊敬と信頼は生活が安定して初めて生まれるものです。
21世紀のロレンス、何百人、何千人のNPOの若者達、ひとりひとりが21世紀のロレンスです。